痛みを分かち合う癒しの場「森のイスキア」主宰・佐藤初女さん

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先日、友人と食事をした際、彼女は会社のお昼に、おにぎりを持って
行ってるという。そう言えば別の友人も、同じ事を言っていた。やはり
外食の質の悪い油で、胃がもたれたり、あまり美味しくないお弁当に
毎日、お金を払うぐらいなら、自分で作ったおにぎりの方が安全で、
安心で胃にも優しいのだろう。

おにぎりというと、映画「地球交響楽第2番」にも出演していた、佐藤
初女(はつめ)さんを思い出す。彼女は1992年から、青森県岩木山
の山麓に、悩みや問題を抱え込んだ人達を受け入れ、痛みを分かち
合う癒しの場「森のイスキア」を主宰している。

「イスキア」とは、イタリアの南西にある火山島の名前で、この島に
まつわるエピソードにちなんで、「森のイスキア」は名づけられたそう。
その美しいエピソードとは、

“ナポリの大富豪の子息で、美しく教養の高い青年が、地位も財産
にも能力にも恵まれ、何不自由なく生きていました。ある夜、彼は
愛する美しい娘とボートで、湖に漕ぎ出しました。娘が彼の愛を受け
入れ、満ち足りた思いに至ったその瞬間に、彼はどうしようもない
虚脱感と倦怠に襲われました。

それ以後、何もかもが退屈で、何もする気持ちになれなくなってしま
った彼が、ふと思い出したのは、少年時代に父親に連れられて訪れ
たイスキア島の事でした。

彼は「みずみずしい感性で、全てのものに好奇心を持ち、生き生き
としていた自分をもう一度、取り戻したい」と願い、一人イスキア島
に出かけます。今は廃墟となって、誰も住む者もいない島の真ん中
辺りに、教会があります。青年はその一角にある司祭館に、住む事
にしました。

地中海に浮かぶイスキア島から眺める風景は静寂に包まれ、夜に
なると塔も城壁も、月光を浴びて光り、一幅の絵のような美しさでした。
この美しい風景を眺めながら、青年は自分自身を見つめ、新たな
力を得て、現実の生活に立ち戻る事ができるようになりました”

この物語から、どうにもならない心の重荷を感じた時、そこへ行けば
癒され、自分を見つめ、新たなエネルギーを得る事ができる。そんな
場所になってほしいと、「イスキア」と名づけられた。

初女さんは、特別な能力も経済力もない自分に、何ができるかと
考えながら歩いていた時、「私には心がある。心だったら、汲めども
汲めども無尽蔵にある」と突然ひらめき、この気づきから「森のイス
キア」へと続く道の第一歩が始まったんだとか。

まさに「今、自分にできる事」、略して「イマデキ」の結果だよね。
ちなみに、イタリアのイスキア島と「森のイスキア」は、ほぼ同じ
緯度で共に温泉があり、避暑地という事だそうな。これは決して
偶然ではないよね。
http://www.geocities.jp/yuki_no_isukia/mori2.html

そして、この佐藤初女さんの作るおにぎりは、実はおにぎりで
はなく、正確には「〇〇〇〇」なのだ?! 続くーっ。

イエスの足を香油で洗うといった話が聖書には出てくるので、香りとは縁が深い。聖書の中の12のオイルは、どれも個性的な香りで、私になお一層、聖地「イスラエル」への旅情をそそる(笑)。パレスチナが独立国として、国連への加盟を申請した事について、アメリカが拒否権を行使する姿勢を示しているが、イスラエルを更に強硬姿勢に追いやる事は確実だ。イスラエルに関する情報は、常にチェックしているが、何で私が行きたい国は、いつも政情不安定なのか? それとも私が精神不安定なのか(笑)。初女さんは、「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴います。犠牲の伴わない奉仕は、真の奉仕ではない」という神父の言葉に、心を揺さぶられたそうだが、あのナイチンゲールは「犠牲なき献身こそ真の奉仕」と真逆の事を言っている。だが、行き着いた先は、同じところだったのではないだろうか。

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