2003 年 10 月 28 日 のアーカイブ

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孤高の幻想画家・藤野一友

2003 年 10 月 28 日

たまたま仕事で行った本八幡でのコト。キッカケは、とある書店のコミックアート

というコーナーだった(←今、思えばなんちゅーシブい品揃えなんだ、ときわ書房。

ホメてつかわす。デカしたぞ(笑))。ふと1冊の画集「藤野一友=中川彩子作品集

天使の緊縛(河出書房新社刊 3,400円)」が目に止まった。本の帯には「三島由紀夫、

澁澤龍彦が熱愛した孤高の幻想画家・藤野一友」と書かれてある。えっ、そんな有名

な人なの? 全然知らなかったよ。日本のシュールレアリスムの鬼才なんだ? さすが、

すっごい絵を描く人だな。久々に感動して、早速Netで調べてみた。藤野一友は1928年

(昭和3年)、現在の東京・新宿区に生まれた。画家を志して慶應義塾大学を中退し、

文化学院大学部美術科に入学。村井正誠に学んだ。在学中の1951年には仁科展に

初入選し、以後仁科会の画家として、キャリアを積んでいく。他に1950年代の読売

アンデパンダン展に出品を続け、また瀧口修造に選ばれて、タケミヤ画廊で初めて

本格的な個展を開き(1954年)、以後数回の個展を開いた。グループ展などには、

ほとんど出品していない。絵画制作の他、当時の多くの画家がそうであったように、

本の装丁をしたり、挿絵を描いたり、舞台美術を担当したりもした。他にも同人誌に、

小説や詩を発表したり、劇の台本や演出、映画制作をしたりと、その活動は多彩で

あったといってよい。1964年には36才で、仁科会の会員となって将来を嘱望されたが、

翌1965年秋に病に倒れ、右半身が不随となり、以後長い闘病生活にもついに再起を

果たす事なく、1980年51才で没した。画業としては病に倒れるまでの、ほぼ15年間

という短いもので、しかも寡作であったから、今私達に残された作品はあまり多くは

ない。また藤野は、中川彩子の名前で、SM雑誌やエロ小説等に官能的なイラストを

描いている。つまり、同一人物なのだ。うーむ、ますます興味が湧いてくるなぁ(笑)。

彼の描いた「聖アントワーヌの誘惑(1958年)」は、まるでヒエロニムス・ボスの

「快楽の園」を髣髴させる。エロ・グロの世界ではあるが、どこかユーモラスで、

細部まで魅入っちゃうんだよね。「神話」「眠り(共に1959年」は、今となっては

かなりクラシックだが、お気にだなぁ。この画集の表紙にもなった「眺望(1963年)」。

いやいや、参ったね。極めつけは「抽象的な籠(1964年)」。思わず「うぉぉぉ~っ!」

と唸ってしまった(笑)。Netで初めて見た時は、気がつかなかったが、画集でよく

見ると、細かい細かい。とにかくものスゴいイマジネーションの世界なんだよね。

私はシュールレアリスム系の画家が大好きだ。小学校3~4年生の頃、図画・工作

(←まだ美術とは呼ばないんだよね(笑))の教科書で、初めてダリの絵を見た時、

アッとオドロキ、子供心に超感動したのを覚えている。ダリという名前だけは、

その時からしっかり刻みこまれていた。昔っから「風景画なら、本物を見に行った

方がイイ」というのが、私の持論だ。その場所で感じる光、風、音etc. そういう

ものに直接触れて、感動を味わった方が良いと思うから。だって、本物の風景には

敵わないもん。それに対して、幻想絵画は地球のどこに行っても見る事ができない。

その画家の頭の中にあるイマジネーションの世界だから。アーティスト=人間の

想像力に超感動し、ココロが打ち震える。新たなモノの見方を教えられる。いつも

ドキドキワクワクのアンビリーバボーな世界。Myファンタスティック・ワールドなのだ。

藤野一友の画集は、この2ヶ月間がんばった私への、ちょっと早いXmasプレゼント

かな♪ 今は、Netで検索しても出てこない、もう一人の幻想画家こと「秋吉鸞(らん)」

が超気になっている。どんな些細な事でもO.Kです。どなたか、情報求む(笑)

♪今日の東京ステーションギャラリー バリ島の幻想画家に続き、11/9まで「浮世絵 アヴァンギャルドと現代」を開催中。キュレーターがイイのかな。

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