2005 年 1 月 10 日 のアーカイブ

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2005 年 1 月 10 日

20050110
「志を持っているか?」と問われて、何人の人が自信を持って「持っている」と答えられるだろうか?

時に「ミッション」などとも呼ばれるが、「儲ける」とか「稼ぐ」とかいった言葉が氾濫し、また、もては

やされる昨今の風潮を第三者的な目で見てみると、志を持つ事が忘れられてしまった。そんな気

がしてならない。「儲ける」事が悪だとは言わない。子供には、おいしいものをお腹いっぱい食べ

させてあげたい、親孝行したい、寒い思いをせずに、快適に暮らしたい。だから「儲けたい」という

のは、誰しもが思う事。それに、何かを成すには、お金が必要。だから、「儲ける」事が悪い事だ

とは言わない。けれど、昨今の風潮は、自己の消費のために儲ける事が主で、手っ取り早く儲け

られればそれでいい。というような感じになってしまっている。そんな印象を強く感じる。今、尊敬に

値する人。と問われて、誰を思い浮かべるだろうか? ここで名前は挙げないが、思い浮かんだの

は、過去の人ではないだろうか? 現在生きている人は、伝説になりにくいという事はあるものの、

尊敬に値する人が過去の人ばかり。というのは、何となく悲しい。そして、過去の成果物のリメイク

に頼るマーケティングというのは、有りだとは思うが、そればかりというのも、どうかと思う。「男が

惚れる男、女が惚れる女」そんな人を何人知っているか? ましてや、自分がそうでありたい。と思

っている人は何人いるだろうか? 自分自身、男が惚れる男になる。な~んて思ったり、口に出し

たりするのは、恥ずかしいとか、格好悪い。というのが、今の風潮。尊敬できる人がいたらいいなぁ。

とは思っても、自分がそうなろうとは考えない。というのが一般的だろう。でも、皆がそうだったら、

尊敬できる人など、誰も出てこない。という事になる。目指す人がいなければ、目指すべき道も見

えない。ニートが増えている。という現実は、誰もが他力本願的になってしまった結果だと言えな

くはないだろうか? 誰か。ではなく、自分が。明治の時代から、戦後の高度経済成長期までの時

代においては、そういう考えを持つ人が、今よりずっと多かったのではないだろうか? だから、今

の豊かな日本が存在している。そういう気がする。

/野々市 恭徳(繁盛研究家)

♪今日のお赤飯 未空、成人式おめでとう!ってか(笑)。未空母が着付け師なので、お客さんから頂いた。まぁ御丁寧にどーも。

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