2005 年 4 月 1 日 のアーカイブ

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赦し

2005 年 4 月 1 日

私が誠意を尽したにもかかわらず、あまりに理不尽で、ずっと許せないでいた。
そして悩んでいた。どうしてこうなったんだろう? 何が悪かったんだろう?
ピークの時のストレスたるや、それはそれは凄まじく、日々頭の中はその事
ばかり。一人イライラしながら、内情をよく知る友人にさんざん愚痴っていた。

申し訳ないと思ったが、とても押さえ切れるような状況ではなかった。根本には
「私は悪くない」「筋は通した」という思い込みがある。だから、なおさら許せ
なくなる。自分との葛藤だった。つくづく私は執念深いというか、器が狭いと
いうか、人を許す事ができない人間なんだなと思った(泣)。期待感ばかりが膨らみ、
自分の思い通りにならないと、すぐにブーたれるエゴの塊。ホントにしょーもない。

だが、こんな私でもきっかけさえあれば、許せるようになるんだという事を知った。
これには準備段階があり、まず自分でよーく考え、他人の意見も参考にしながら、
自分が納得する行動を起こした。この時点で、半分はカタはついていた。が、まだ
不十分で、正直もやもや感が消えない。魂と合致していない。そして、最終的な
きっかけがあり、自然に許せた。本当に自然に・・・ 

これこそがまさにタイミングだったのだ! 鏡の中の私は、微笑んでいて幸せそう
だった。許すと体から力が抜け、一気にラクになれる。緊張感が解きほぐれ、自然
と穏やかで、優しい気持ちになれる。許せないでいた私は、自分で自分をがんじ
がらめにしていた。了見の狭い意識レベルで、一番相手にしてはならない自分と
本気で格闘していたのだから、もうバホとしか言いようがない(笑)。

そんな無益な戦いが終わった今、至福の思いが込み上げてくる。“私”が甦って
くる感覚。これは迷走の時と同じだ。思えば時間はかかっても、私の貴重な学び
の時期であり、必要な体験だったと今になって思う。これこそが真の赦しなのか。
私が私を赦した瞬間。全てのものに人に、ただひたすら有り難いと思った。レン
タルして来たばかりのケツメイシの「さくら」を、何度も何度も聴きながら、
一人まぶしい空を見上げる。
20050401

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