2005 年 4 月 14 日 のアーカイブ

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聖地幻想

2005 年 4 月 14 日

今から7年前、ネパールとインドに行った。当時の私は身も心もボロボロで、1ヶ月で
4キロも痩せ、心はズタズタ。仕事をしながら泣き、ゴハンを食べながら泣き、写真
を見ては泣きetc. とにかく最悪の状態だった。確か10日間ぐらいのツアーだった
と思う。まず日程で驚いたのは、たまたま私のBirthday1月21日にガンジスを訪れ
るという事だった。これは絶対守られてると思った。私のイヤなところ、嫌いなところ、
いらないものなど、全てをガンジス河に流して来よう。そして、生まれ変わろう。

そんな祈るような気持ちでいた。そうだ、インドでは仏教の聖地にも行くじゃないか。
何か奇跡が起きるかもしれない。パワーをもらって帰って来よう。期待度は200%!
絶対に何か起こると信じて、日本を立った。タイのバンコクで1泊し、ネパールへ入る。

ネパールでは古都を訪ね、チトワン国立公園で象に乗ってサファリをしたり、インドで
は世界遺産のタージマハールやガンジス河、寝台列車にも乗り、とにかくこのツアー
は見所盛りだくさんだった。リクシャ(←力車の語源)に乗って、ベナレスの街を
散策したり、前から着たかった綺麗なサリーを着て、額に赤い粉を付けられると、
すぐに無国籍になった(笑)。私はSan Diegoにいた時はベトナム人に見られ、
バリ島でバティックを着ると、現地の人に「Are you Singapore or Malaysian?」
と聞かれたので、ニッコリ「Half Malaysian」と答えた。そうしたら、最後まで誰に
も疑われなかった(笑)。

ネパールは野菜もおいしくて、屋根に大根が干してあったり、小豆や麦などを天日
にさらしていたり、牛や腕白の洟垂れ小僧がいたり、100年前の日本の農村風景
をカラーで見ている感じ。バスから眺める黄色のじゅうたん、菜の花にココロを奪わ
れる。ガンジズ河では早朝、船に乗ってお供物を流す。手を水につけながら、新生
を願い、河の風景を眺めた。水が非常に汚れているので、皮膚病になる人もいると
聞いたが、私は絶対そんな事にはならないという確信があった。映画「深い河」の
ラストシーンの秋吉久美子のように、サリーを着て沐浴したいくらいだった。

すぐ近くに死んだ牛がプカプカと流れて来た。それをカラスが啄ばむ。こんな風景を
見ながら誕生日を迎えられるなんて、一生に一度かもしれない。何て有り難いんだ
ろう、守られてるんだろうと感謝し、祈った。結局、仏教の聖地に行っても、何~も
奇跡は起こらなかったし、特に霊的な人にも巡り逢わなかった。単なる観光客として、
写真を撮ってる自分がいた。だが、美しい菜の花畑や澄み渡った青空、雪に覆われた
ヒマラヤ山脈、日向ぼっこをしながら編物をしてるおばさんの穏やかな微笑み、心底
無邪気に笑う子供達、仕事の手を休めながら手を振る職人のおじさんetc.

そんな全てのものが私の傷ついた心と体を癒してくれていた。知らぬ間に元気にして
くれた。バスからの風景を眺めながら、思わず涙が込み上げてきた。本当にネパール
とインドに来て良かった! そこでわかったのは、聖地は場所じゃないんだ、「人」
なんだという事。ここが出発点であり到達点なのだ。どんなに人に傷ついても、また
人に戻って来る。ここが私の生きる世界であり、返って来る場所なのだと、改めて
実感した。

日本に帰って道を歩いても、牛や象、野良犬などのフンに悩まされる事はない(笑)。
だが、私を優しく受け入れてくれたあの混沌としたインドの雑踏・・・砂埃や空気
の悪さ、人の多さetc. 何でもありの世界が妙に懐かしく思える事がある。ふと、
インドとネパールの旅が、私の中に「生きる火種」を灯してくれたような気がした。

轟々と燃え盛る激しい炎ではなく、ただ静かに辺りを照らす灯火。7年経った今でも、
私の心の奥の奥で、静かにゆらめいている。
20050414

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