2011 年 4 月 9 日 のアーカイブ

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瓦礫

2011 年 4 月 9 日

鬼丸昌也(地雷・小型武器・子供兵・平和教育に取り組むNGOテラ・ルネ
ッサンス代表)さんのメルマガで、彼が「現地に行かれた方のメッセージ
で私自身、強く実感した事があるので、紹介します」という文章があった。

“街を見て一つ思った事は、報道で「瓦礫」の山とよく耳にするが、
街全体がなくなったこの街の人にとっては、これは「がれき」ではない。
街の人達の思い出が詰まったものだから・・・

瓦礫の山なんて、簡単には口できない。
そんな事を強く思いました”

デジタル大辞泉の解説によれば、「瓦礫」とは、

1. 瓦と小石。破壊された建造物の破片など
2. 値打ちのない物、つまらないものの喩え

被災地の報道を見ていると、記者が「ここ一帯は、瓦礫の山と化しています」
とレポートしているが、よくよく眼を凝らせば、その足元には家族の写真や
思い出の品々など、貴重品が大量に埋もれている。阪神大震災の時もそう
だったが、家族のアルバムを探している姿が印象的だった。

大きなフレームでは、瓦礫とひとくくりにされても、フォーカスすれば、決して
瓦礫ではない。つい最近まで、家族の日常を支えていた生活必需品の数々
でもある。人々の当たり前と思われていた普通の生活を、一瞬にして木端
微塵にした「自然」の猛威。人間はあまりに無力だ。

宮崎駿監督が「もののけ姫」のインタビューで、「人間と自然は、基本的に
共存できない。山にできた遊歩道を見て、『やっぱり自然はいいね』なんて
思ったら大間違いで、あれは人間が作り出したものでしょう。遊歩道なんて
自然じゃないですよ。自然が大好きなんて、とんでもない。自然は人間を
襲う恐ろしいもので、だからヨーロッパでは戦う相手だった訳でしょう」と
いうような事を話していた記憶がある。

あれだけの大津波や大地震を見せつけられると、やはり荒れ狂った自然
とは恐ろしいものだと痛感する。とても人間が太刀打ちできる相手ではない。
津波の地域は、人間の住む場所を高い所に移すのが、一番現実的だろう。

一日も早い復興に向け、同じ日本人として今、私に何ができるのか? 

まずは、今日一日を悔いなくやり切ろう!

巣鴨の線路脇には、桜のアーチができている。絶好のお散歩コースだ♪

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