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ヘレン・ケラーが尊敬した日本人「中村久子」

2012 年 3 月 22 日

ヘレン・ケラーが初めて久子さんに会った時、「私よりも不幸な人。
けれど、私よりも偉大な人」と言って抱きしめた。私がマザー・テレサ
と同じく敬愛してやまない大石順教(←このブログ内で検索してみてね)
も両手がないが、中村久子さんは2歳の時、凍傷が元で、3歳で特発
性脱疽を起こし、両手両足を失った。

フリー百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」によれば、7歳の時に
実父が亡くなり、激動の生活の中、彼女を支えてくれたのは、祖母
ゆきと母あやであった。祖母と母の厳しくも愛情のある子育ての
おかげで、久子は文字や編み物をできるまでになった。

その後、母と再婚した継父に身売りされ、「だるま娘」の名で見世物
小屋での芸人として働くようになり、両手のない体での裁縫や編み
物を見せる芸を披露した。

後に結婚し、長女・次女が生まれ、祖母の死や夫の死という不幸に
見舞われながらも、くじける事なく、子供達を養い、気丈に働き続けた。

1934年、ようやく興行界から去った。41歳の久子は、東京でヘレン・
ケラーと出会い、その時、口を使って作った日本人形を彼女に贈った。

42歳の時、福永鷲邦に出会い、「歎異抄」を知り、50歳の頃より、
執筆活動・講演活動・各施設慰問活動を始め、全国の身障者、
及び健常者に、大きな生きる力と光を与えた。

久子は講演で全国を回る中で、自分の奇異な生い立ちを語ると共に、
自分の体について、恨む言葉もなく、むしろ障害のおかげで、強く
生きられる機会をもらったとして、「『無手無足』は仏より賜った身体。
生かされている喜びと尊さを感じる」と感謝の言葉を述べている。

つづく

江戸六地蔵尊のいる巣鴨「眞性寺」では、紅梅が満開。これだけ立派な梅の木は、そんなにないのでは? 本当に綺麗で見とれてしまう。1週間前に来た時は、全く花が咲いてなかったのに。まだまだ寒いけど、春はもうそこまできてるんだよね。♪春よこい 早くこい

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