マキシミリアノ・マリア・コルベ

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永井隆博士の人生を大きく変える事件とは? その前に「この子を残して」と
いうタイトルだけは聞いた事があったが、実はこの永井博士の著作だったとは!?

そして、彼と関わりの深い長崎・島原を巡る「コルベ神父と26聖人の故郷」の
旅の案内が届いた。これも偶然ではないだろう。私はクリスチャンではないが、
昨春は秋田の涙を流す聖母マリアがおられる聖体奉仕会を訪れ、キリスト教
(カソリック)との不思議なご縁を感じている。

この旅では聖者の息づく聖母の騎士修道院・コルベ記念館や遠藤周作の名作
「沈黙」に登場する背教者フェレイラ(実在の人物がモデル)が住んだ西勝寺、
歴史の証人・大浦天主堂etc.を訪れるらしい。

そういえば隣町には「聖母の騎士幼稚園」があったっけ。コルベ神父の正式
の名前はマキシミリアノ・マリア・コルベ。1930年(昭和5年)4月24日、彼は
修道士と共に長崎に上陸し、大浦天主堂の近くに住んだ。

布教活動を行なっていたコルベ神父は、1936年(昭和11年)5月に故国ポーラ
ンドへ帰国したが、やがて第2次世界大戦が勃発。ユダヤ人をかくまい、ナチ
ス軍に捕らえられ、アウシュヴィッツ強制収容所へ入れられた。

その時、1人の脱走者が出たため、10人が餓死刑に処せられる事になったが、
最後に選ばれた男がつぶやいた。「私には妻も子もいる」。これを聞いたコル
ベ神父は、自らその身代わりとなる事を申し出た。

通常、餓死刑では受刑者達は、飢えと渇きで錯乱状態となって死んでいくが、
地下牢からはいつまでも祈りと聖歌が絶えず、看守達はまるで聖堂のようだっ
たと証言しているそうだ。1941年(昭和16年)8月14日、生命を捧げ亡くなった。

1982年(昭和57年)10月10日、バチカンにおいて、ローマ法王ヨハネ・パウロ
2世からカソリック聖人に上げられた。

東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、自殺を図ろうとした女性(39歳)
を助けようとして急行電車に轢かれ、重体となっていた警視庁板橋署常盤台
交番の宮本邦彦(53歳)巡査部長が、収容先の病院で死亡した。

いつの世にも残忍極まりない方法で人を殺める人間がいる一方で、コルベ
神父のように身代わりとなって他者の命を救う人がいる。宮本巡査部長の
ご冥福を心から祈りたい。
20070212

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