カタンニュー

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「横の恩・下の恩を知る」

古代インドの地方語のパーリ語に、
「カタンニュー」という言葉があります。
「何がなされたかを知る」という意味です。

また、中村元先生は「仏教語大辞典」で、

「恩とは、何がなされ、今日の状態の原因は
 何であるかを、心に深く考える事である」

と解説されました。私は仏教でいう恩の基は、
この「カタンニュー」ではないかと思っています。

恩という字は「因」と「心」から成り立っています。
原因を知る心、つまり「カタンニュー」です。

釈尊は、このような喩え話をされました。

ある金持ちが大工さんに
「2階建ての家を建ててくれ」と命じた。

大工さんが1階を作り始めると、その金持ちは、
「オレは1階はいらん。2階だけでいいのだ」と怒った・・・と。

そして、釈尊は「この金持ちの事をどう思うか」と
弟子達に問いかけられたのです。

私は、それこそ「カタンニュー」ではないかと思います。
1階があってこそ、2階があるのでしょう。
そうでなければ、幻の空中楼閣です。

私は朝日カルチャーセンターの講師をしているので、
毎週1回、東京の新宿住友ビルの48階にある
教室に行っていますが、ある時ふと
「カタンニュー」に思いが至りました。

素晴らしい眺望のこの48階も、その下に
47階があるからこそ実在する。
そうであれば、47階以下の存在を知るという事こそ
「カタンニュー」という事であり、恩ではないか・・・と。

仏教でいう恩とは、自分よりも上の人に対するだけではなく、
「自分になされたのが、何であるか」という
むしろ自分より、下の者の事を思うという事なのです。

「カタンニュー」とは、儒教的な「上から下への」恩だけではなく、
横の恩、下の恩を知るという事でもあります。
多くの人達に自分が支えられている事を知る。
それが恩を知るという事でもあるのです。

その事を少し、角度を変えて述べてみましょう。
有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」の一節に、

「子を持って知る子の恩」

というくだりがあります。

よく言われる「子を持って知る親の恩」ではなくて、
まさに「子の恩」なのです。
自分の子供の恩を知る人にして、初めて親の恩が
わかるという事ではないでしょうか。

実際に、サラリーマンに何かあった時、
自分を支えてくれるのは上司ではなく、
部下である場合も多いのではありませんか?

部下の恩がわかるのが良い上司、
弟子の恩がわかるのが、
優れた師という事になるでしょう。

/松原 泰道(南無の会会長)
 メールマガジン「致知」1996年1月号 特集「恩に報いる」より
 http://www.chichi.co.jp/leader/page4.html#002120

戦国時代、大分のキリシタン大名として有名なドン・フランシスコこと、大友宗麟(そうりん)の生涯を描いた「国東(くにさき)物語」を読んでいる。本ってハマるとヤバイよね。主に電車の中で読んでいるので、降りる駅を何度も乗り過ごしてしもーた(笑)。1985年に映画化もされているので、原作を読み終えたらDVDを見ようと思っている。

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