やりたい事がわからなくても、人生を立派に生きている人は、たくさんいる

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やりたい事がわからなくても、人生を立派に生きている人は、たくさんいます。まずこの事を確認してほしい。

むしろ、そういう問題を自分の問題として考え、悩む人の方が、これまでの人類の長い歴史、あるいは日本の

歴史、もっと言えば、戦後50数年の歴史を顧みても、ずっと少数派だったのではないだろうか? 多くの人達

には、やりたい事がわかろうとわかるまいと、やらなければならない事が厳としてあった。仕事や人生の課題、

生き方について、自由に自分の意志で決める事ができる選択肢はなかった。例えあっても、ごく少数であったと

言って良いだろう。例えば仕事だ。長男は家業を継がなければならなかった。家業は、農業が生業の多数派で

あった時代、多く「世襲」が普通だった。長男が家を継ぐだけでなく、篤農家なら2男、3男にも土地を確保して、

耕作地域を広げていこうとしたのである。多くが村落等の狭い、非産業地域で生きざるをえなかったから、望ん

でも、その望みに叶うような職場や仕事種を、見いだす事はとても難しかった。じゃあ、そんな人達の人生は

つまらなかったのか? そうとばかりは言えない。むしろ、逆の例を見い出すのはたやすい。

例えば、伊能忠敬(1745~1818)。養子に入った先が、没落しかかった酒屋であった。だから、50才で隠居する

まで、猛烈に商売に励み、家業を盛り返す事に成功した。それから江戸に出て、小さい時から好きだった学問を

するために弟子入りし、世界に誇るに足る詳細な日本地図を作るのに、終生を費やしたのである。私が驚嘆する

のは、その後半生ばかりでない。その前半生も、どれほど充実した毎日だった事だろうと思わずにはいられない。

伊能忠敬のように、知的な努力を必要とする仕事とか、社会的に有用な仕事をしなくとも、家業を受け継ぎ、家庭

を作り、子供を育てあげる。ただそれだけの人生でも、つまらない、意味のないものかというと、決してそんな事

はない。自分の人生を、次の世代への橋渡しのために費やすというのは、つまり、子供を産み育て、地域のため

に力を尽くす事は、全ての人間に共通した立派な事業なのである。立派な人生と言わなければならないだろう。

「立派に人生を生き抜く」という事と、「やりたい事がハッキリした人生を送る」という事が、必ずしも結びつかなか

った時代があったのである。人類史の大部分を占めてきたと言って良い。もちろん、今にも同じようにあると思う。

/鷲田 小彌太「人生にとって“仕事”とは何か?(PHP文庫)」より

♪今日のラララ~ン ジモティの友人から、大量のパンの差し入れがあって多謝! 当分、楽しめるなぁ。ひゅーひゅーぱふぱふドンドンドンドン♪

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