最後の仏師・西村公朝③

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「何とかして、現代を生きる人々に、もっと仏の教えを身近
に感じてもらいたい」長年こう思っていた公朝は、仏師の
第一人者として、「祈る気持ちさえあれば、誰だって仏像
を彫れるんだ」という確信から、そして寺の復興を祈願
する思いも込めて、1981年(66歳)、一般参拝者に向か
って「羅漢さんを彫りませんか」と呼びかけた。

羅漢(らかん:正式には阿羅漢)とは、釈迦の弟子となって、
仏教を広め伝えた僧侶の事。釈迦が他界する時に、立ち会っ
た羅漢は500人といわれており、彼らは「五百羅漢」と呼ば
れている。釈迦入滅の百年後に、教義が誤って伝えられて
いくのを防ぐため、700人の羅漢が大集会を開いて、釈迦
の教え(言葉)を全員で再確認したとされている。

公朝の呼びかけに全国から人が集まり、彼らは全く素人ながら、
公朝の指導を受けて石を刻み続け、彫り始めて10年後(1991年)、
ついに願いは達成され、1200羅漢が境内を埋め尽した。時に
公朝76歳。これより前、1986年(71歳)に天台大仏師法印号
を授かる。

1994年、最晩年の大仕事となる釈迦十代弟子の制作を開始。
2003年、十代弟子の最後の1人を彫り上げた2ヶ月後に他界
した。初めて三十三間堂でノミを握ってから62年。

この間、公朝が修復した仏像は、広隆寺・弥勒菩薩(折れ
た指を復元)や平等院・阿弥陀如来など、実に1300体以上!

仏教と仏像の素晴らしさを、時にはお寺から飛び出して、
著作、講演、様々な媒体で優しく説き続け、愛宕念仏寺
を立派に復興させて旅立った。

これら全ての根底にあるのは、20代後半に戦場の夢で
出会った、壊れた仏像達との約束。公朝は晩年になっ
ても、口癖のように繰り返していた「あの仏像達を思い
出すと、約束を果たしたなんて到底言えない。見渡す
限り、何万とあったのだから」

P.S 10月末の高野山の宿坊予約が取れた。結構、部屋が
   埋まっててビックリ。宿坊と思いきや、宿泊費が高い
   んだな、コレが。京都の公朝さん、待っててや~♪
20090804
じもてぃーの夏祭りで、ヨン様ご推薦のチヂミ屋発見! 隣で小学生の男の子が、「チヂミ売ってて、何でヨン様がいるんだ?」と素朴な疑問を投げかけていた。坊や、それはね、日本人にとっては、チヂミ→韓国→ヨン様だから(笑)。細かいコトは気にっしな~い。チヂミが売れれば、O.K牧場!

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