妬み

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今朝、全校集会で、何よりも大切に思ってきた生徒達に、今年度限りで北星余市高校を
去るという事を告げた。頭の中を様々な思い出が走馬灯のように蘇った。北星余市高校
との出会いは17歳の春だった。何も持たずに一人ぼっちで流れ着いた北の小さな学校は、
私に温もりと夢を与えてくれた。北星余市高校は、産みの母を知らない私にとって、
やっと出会えた「母」だった。

そんな母校に恩返しをしたいと思った。母の胎内で生涯、生徒達と共に生きていきたい
と心から願ってきた。しかし、私は今、母校を巣立つ決断をしなければならなくなった。
事あるごとに発信しているが、目の前の子供達を誰か一人の求心力だけで、本質的に
導く事など不可能である。教師集団、PTA、そして地域が同じ目的の元で連携した時に、
初めて子供達は前向きな未来へと導かれていく。それこそが青少年問題と戦う北星余市
教育の根幹なのだ。しかし今、私という存在がその連携を不安定なものにしてしまった。

「学校は義家に何も言えなくなってしまっている」「北星余市は義家におんぶにだっこだ」
「義家は学校を休んで、講演ばかりして金儲けをしている」等といった事実とは全く
反する声が、去年の秋ぐらいから一部の寮やPTAのOB達から上がるようになった。そして、
子供を遠くから見守っている親達は、そんな声に敏感に反応した。同時に教師集団の中
からも「講演会や執筆活動は全て止めろ。そうでなければ、教師集団の一人としては
やっていけない」「相当額の印税が義家の元に入っているはず。それは副業だ!」等の
厳しい意見が出されるようになった。聞きながら・・・泣きそうになった。

母校存続のために全てを犠牲にして行ってきた事は、危機が回避された途端、負の感情
となって、私に降りかかってきた。何よりも大切なはずの北星余市高校教育の根幹は、
私を中心に大きく揺れてしまった。

もし私が企業人だったならば、このような妬みにも似た声と徹底的に戦う道を迷わず
選んだだろう。しかし、私は教師である。学校とは「生徒達」のためにこそある。今、
目の前にいる子供達が不安の中にいればいるほど、教師集団、PTA、彼らを受け入れて
くれている地域(寮・下宿)は総力を結集し、団結して彼らと向き合わなくてはなら
ない。自らの思い入れやプライドのために、団結を曇らせるわけにはいかないのだ。

共に教育活動を行う者達が「大人の都合」で揺れた時、目の前の生徒達の未来は必ず
揺れる。北星余市高校の教師集団を、私は今でも信頼しているし、尊敬している。
私などいなくとも、教師集団が同じ理念を共有しながら存在する限り、生徒達が取り
残される事はないだろう。昔、私がそうであったように・・・

母校に出会ったのが17歳の春。そして、その日から17年。私は34歳の誕生日を節目と
して、母校を巣立つ決意を固めた。北星余市高校は私にとって全てだった。そんな私
が北星余市を去るという事は、再び全てを失うという事になるだろう。でも、私は
決して歩みを止めない。日本中に震えている人々がいる限り・・・ これからの事は
全く白紙だが、私は生涯「教育現場」にこだわりながら、自分を救ってくれた教育
という営みに、恩返しをしていこうと思っている。

/義家 弘介(ヤンキー先生)

P.S 2004年10月29日「熱」で、義家さんについて書いています。
20050219

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