分身

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人間は生きていれば、誰でも間違いをする。仕事、恋愛、
人間関係etc. 言わなきゃいいものをつい口が滑って、
ポロッと言ってみたり、何度チェックしても問題なかっ
たはずのものが、見る目が変わればここも、あそこもと
ミスが発覚したり、前にも同じような事件を経験したに
もかかわらず、喉元過ぎればで、またやってしまったりetc.

注意力散漫、緊張感が足りないと言われればそれま
でだが、人間は生身ゆえに、ある日、ある時、トンでも
ない間違いを起こす動物である。と同時に、後悔する
ようにできている動物でもある、と私は常々思っている。

以前、クライアントさんから「何でその人にそんな事を
言ったのか、自分でもわからないんですよ。今だったら
絶対言わないんですが、とにかく何だかわからないけど、
その時は言っちゃったんですよね」と聞いた事がある。

その時は顕在意識ではなく、潜在意識から発せられた
言葉だったんだろう。この事がきっかけで、相手との
関係性は壊れてしまったそうだが、「仕方ないですよね。
もう終わった事だし、それも運命だと思っています」
とおっしゃっていた。

数年前、太極拳のS先生が貸してくれた「頭の整理法
教えます~剣に学ぶセルフ・リストラの法則~(野中
日文著 騎虎書房刊)」という本を読んだのだが、
その中に「武術で相手にするのは、注文のつけられ
ない人間である。身勝手な相手であれ、ずるい相手
であれ、その相手とどう渡りあうかという事だけが、
重要な点である。この世は、様々な人間達の寄合
所帯であって、出会う人間がみな聖人君子であろ
うはずもない。色々な癖を持った人間達を相手に、
どう動くかを問題にするのが、武の考え方である」

と書いてあった。ここでいう注文のつけられない相手、
身勝手な相手、ずるい相手、色々な癖を持った相手と
いうのは、自分を投影した姿でもある。つまり、全て
は自分の分身なのだ。そんな自分自身と何とか折り
合いをつけながら、運命に翻弄されようと思う(笑)
20080611
♪三嶋大社の本殿脇には、小さなお社があり、それぞれ海神社や飯神社などといった名前がつけられている。お供え物が捧げてある風景は、昔から変わっていないだろう。これからもずっと、そうあってほしい。

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