2003 年 2 月 8 日 のアーカイブ

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ギリシャ正教の聖地「アトス」

2003 年 2 月 8 日

「アトス」が、ギリシャ正教の聖地だという事を初めて知った。ギリシャ
というと、断崖絶壁に建つ「メテオラ」の修道院を思い出す。どちらも
世界遺産だ。

アトスは外部との接触を一切断って、現在でもユリウス暦を使い、
時間も世俗とは異なる。外交以外は修道士による自治権が認め
られており、祈りを中心とした自給自足の生活を続けている。

今回、世界遺産に指定された事で、初めて特別に取材が許さ
れた。彫像は偶像崇拝とみなされ、全てはイコン(平面の聖像)
に描かれている。

修道士の過去も様々で、元トラック運転手、会計士志望、捨て子etc.
共通項は生きてる間は、アトスを一歩も出る事なく、ここで死を迎える
という事だ。生活の中心は祈りであり、この世の欲望を全て断ち切る
ための修行が続けられる。

あくまでこの世は、仮の宿であり、死んでからが本当の自分の人生?
なのだ。もちろん女人禁制! 飼っている家畜も、オスだけしか持ち
込めない。ネコだけは例外で、ネズミを取るため許されているという。

食事は1日2食で、食事中は私語禁止。とにかく毎日、ひたすら祈っ
ている彼らの個室は、たたみ3畳ほどで、私物は一切ない。ううっ、
ダメだ。番組を見ているうちに、だんだん息苦しくなってきた(笑)。

間違っても私は、修道女にはなれない。彼らの祈りって何だろう?
自分が神の所に行けるようにと、ひたすら願う事だろうか? それ
って、一種の自己満足にすぎないのでは? 

世俗バリバリの私は、勝手な事ばかり考える。彼らの本当の祈りの
意味も、深さも、神に対する思いも、何も知らないで・・・

ある宗教団体に入ってる熱心な男性が、「救いがなければ、宗教
じゃないんです」と言った。ギリシャを始め、世界中には悩み、苦し
んでる人が大勢いる。アトスの修道士は、そんな人達に対して、
我れ関せずなんだろうか? 

悩める人と共に生き、救いの手を差し伸べ、優しい言葉をかけ、少し
でもその人の苦しさを和らげる事が、宗教に携わる者の本質だと思っ
てる私は、傲慢なんだろうか? 

アトスに閉じこもったら、どんなに素晴らしい教えがあったって、人に
伝えられないじゃん? その教えによって、救われる人がいるかも
しれないんだよ。

その可能性を固い鉄の扉で、閉ざしてしまうの? 一人でも多く迷える
小羊を救いたいって、神様は思ってるんじゃないの? 違うのかなぁ?

教会を始め、寺、シナゴーグ(ユダヤ教徒の礼拝及び宗教教育のため
の会堂)やモスクetc.の扉は、いつでも開け放っていてほしい。心の扉
を閉ざしている人は、大勢いるのだから・・・

♪今日の意見の一致♪ 友人との長電話「やっぱ、カラダを使わなきゃダメだよね。脳ミソより、細胞の1コ1コに染み込ませないとね」

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