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スーフィー③

2006 年 3 月 10 日

スーフィーを排撃したのは、ワッハーブ派だった。ワッハーブ派は、18世紀に
アラビア半島内陸のナジュドに起こったイスラム教の改革運動である。宗派
としてはスンナ派に属するが、その下位宗派に数えられる場合もある。法学
的には、イスラム法学派のうち厳格な事で知られるハンバル派に属す。

創始者はムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブ(ワッハーブ)。一般に
イスラム原理主義と呼ばれて知られている復古主義・純化主義的イスラム
改革運動の先駆的な運動であると評価される。

ワッハーブは18世紀半ばに、コーランとムハンマドのスンナに戻り、イスラム
教を純化する事を説き、当時ナジュドで流行していた聖者崇拝、スーフィズム
を激しく排撃した(泣)。ナジュドの豪族であったサウード家のムハンマド・
イブン=サウードは、ワッハーブの教えを受け入れて彼を保護し、ワッハーブ
派の運動を広げつつ、勢力を拡大した。こうして形成されたサウード家の国家
をワッハーブ王国と呼ぶが、19世紀初めにオスマン帝国と敵対して、ムハン
マド・アリーに滅ぼされた。

その後、ワッハーブ派は雌伏を余儀なくされたが、20世紀初めにサウード家
のアブドゥルアズィーズ・イブン=サウード(イブン・サウード)がリヤドを奪回し
てからのち復興した。サウード王国がナジュドとヒジャーズを征服して、サウジ
アラビア王国を建国すると、ワッハーブ派はアラビア半島の大部分に広がった。

ワッハーブ派は、現在もサウジアラビアの国教であり、宗教警察が国民に対し
て目を光らせている。また、王家が国庫を私物化しているという不満を受け止め
る存在ともなっている。同国出身のオサマ・ビンラディンも元々、ワッハーブ派
に属する信徒であったとされる。

中央アジアのウズベキスタン等では、ワッハーブ派というと特別な響きを持つ。
反政府的な態度を取る人達にレッテル張りをし、矮小化するために、この言葉
が使われている。

へぇへぇへぇ(笑)。つまり、イスラム原理主義の大元がワッハーブ派なワケだね。
強硬派相手にスーフィーなんて、ひとたまりもないよ(号泣)。サウジアラビアにテ
ロが多いのは、王家が国の富を独占して、貧富の差が凄まじいからなんだよね。

国民は未来への希望が見出せず、職にあぶれた若者は、自然にテロへと向かう
悪循環。San Diego時代に、同じクラスにアラビックがいたけど、確かサウジアラ
ビア出身だったと思う。彼らにとって、パパは絶対権力者だった。

それじゃ、ワッハーブ派と他のイスラム宗派との違いは?
20060310

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