幕末の巨匠こと“越後のミケランジェロ”石川雲蝶

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新潟県魚沼市に、私が最も行きたいお寺があり、それが西福寺
(さいふくじ)開山堂。正式名称は「赤城山西福寺」という曹洞宗
の寺院だ。そこには幕末の巨匠で、“越後のミケランジェロ”と
呼ばれた、石川雲蝶(うんちょう)の素晴らしい作品がある! 

最初の出会いは、今から数年前、駅で見かけたJRの観光ポスター
だった。えーっ、新潟にこんなスゴいお寺があるの?と衝撃が走り、
大コーフンして、すぐにググってみたのだ(笑)。

まず驚いたのが雲蝶の眠るお墓が、新潟県三条市の本成寺に
あるという事。ぬわ~んとここは、未空父方の菩提寺なのだ! 

そして、彼は江戸の雑司ヶ谷、現・東京都豊島区に生まれている
のだ! 空庵事務所と一緒じゃん(笑)。うれしい偶然が重なって、
ますますハマった石川雲蝶(いしかわ うんちょう:1814年〈文化
11年〉~1883年〈明治16年〉)は幕末期の彫物師。

フリー百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」によれば1814年、
江戸の雑司ヶ谷で生まれ、本名は安兵衛。若くして江戸彫石川流
の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許された。

20代で幕府御用勤めになり、「石川安兵衛源雲蝶」を名乗った。
江戸での製作記録は確認できていない(残念だなぁ)。32歳の時、
越後国(現・新潟県)永林寺(現・魚沼市)の22世円応弁成和尚
の招きで、越後国に入る。

「良い酒と鑿(のみ)を生涯与える」という言葉で承諾。やがて、当時
から鑿などの金物の町として知られた三条へ婿養子に入り、酒井姓
となった。一男一女を儲ける。

越後国では、永林寺の欄間などの彫刻群や「越後日光」といわれる
「西福寺開山堂(現・魚沼市)」「秋葉神社奥の院(現・長岡市)」
「瑞祥庵金剛力士像(湯沢町)」など、多くの彫刻を各地に残した。

後に三条に戻り、70歳で死去した。法名は観具院真性日安信士。
墓は三条市本成寺(ほんじょうじ)にある。作品は越後に千点近く残る。

石川雲蝶には「酒好き」「興が乗らなければ、鑿を握らなかった」など、
様々な人物像が語られているが、写真や記録等のハッキリとした
資料はない。その彫刻の多くは、色鮮やかで彫りが深く、何層にも
彫り重ねられた精巧さと、大胆な構図が特徴であり、それらの作品
からは多識で、真面目な人柄がうかがえる。

まずは、百聞は一見に如かず。赤城山西福寺・開山堂の大迫力の
パノラマを見よ! 上下左右に楽しめるよ(*^ー^)b
http://www.saifukuji-k.com/kaisandou_tour/index.html

雲蝶は凄腕のコーディネーターで、「越後のミケランジェロ」と言わ
れているが、どう考えても「日本のミケランジェロ」でしょ。作品は
木彫りにとどまらず、石の彫刻や襖絵や漆喰、障子など、どれを
とっても雲蝶の世界観が、ダイナミックに表現されている、そうな。
http://www.niigata-kankou.or.jp/feature/09_uncho_01.html

150年を経て、尚も人々を魅了する石川雲蝶。絶対、見に行くからね。
待ってろよー、新潟(笑)。この素敵なご縁に、心から感謝している。

ナマ拳、その他のスケジュールはこちら

たった一言でもいいので、コメント下さいね。

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