太極拳の初代Y先生

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黄色いTシャツに紺のジャージを履いたオヤジが、裸足でモップ片手に48Fの
教室の窓を拭いていた。ルックスは星一徹そのもので、耳に赤ペンを差したら、
競馬の予想屋風(笑)。窓拭きの掃除も大変だなぁと思いつつ、そこに「Y先生」
と誰かが声をかけると、そのオヤジが「ハイ」と振り向くではないか?

えーっ、このヒトがっ?

私の姿に気がつくと、「新しい生徒さん?」「はい、そうです。がんばりますので、
よろしくお願いします」「がんばらないで、ぼちぼちいきましょう」

これが太極拳の初代Y先生との最初の出会いだった。太極拳の先生という
私の型にハマりすぎたイメージをのっけからブチ壊し、がんばる意欲を否定し、
良い意味で思いっきり期待を裏切られたスタートだった(笑)。

当時、S先生はY先生の助手をしていた。後に「未空さんが教室に入って来た
瞬間、3年たったら声をかけてみようと思ってたのよね。その通りになったわ」
と笑っていた。イマドキ3週間、いや3ヶ月でもなく、3年というスタンスに心底
驚いてしまった。さすがは太極拳! 中国4000年の歴史、悠久の時の流れ
とでも言うべきか(笑)。そもそもS先生は、最初から私が3年は通うと本気
(と書いてマジと読む)で思っていたんだろうか?

「まず一人で申し込んで来たでしょ。友達と入った人はその友達が辞めると、
同時に辞めちゃうのよ。誰が続けるか、教室に入った時から大体わかるわね。
未空さんとはいずれ話をするなぁ、きっとご縁がある人だなぁと思ってたのよ。
うふふ、やっぱり当たったわね♪」

ちなみに私はS先生に対して、そういう感情は全くなかった。Y先生が仕事
の都合でどうしても教室が続けられなくなった時、1年目は無遅刻無欠席
の皆勤賞だった私はもうショックでショックで、代行のS先生に毎回ブータ
レていたほどだったのだ。今から思えば、何~と失礼なっ(笑)。

それにしてもY先生の指導法は独特だった。というのも・・・
20061201
♪カナダから蘭が届いていた。今回、バンクーバーの工房で製作した作品も展示されている。私がSan Diegoにいた時、デザイナーの友人はバンクーバーにいて、一緒にイエローナイフにオーロラを見に行く予定だった。その際、Xmasをこの蘭の送り主のお宅で迎え、暖炉の前の靴下や丸ごとのターキーetc. 生まれて初めて本場の素晴らしいXmasを味わう事ができた。M夫妻には心から感謝している。私の名前の入った靴下は宝物で、今でも大事に取ってある。

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