2005 年 12 月 のアーカイブ

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意味の編み目を生きる

2005 年 12 月 11 日

合掌 こんにちは。

子供達が無惨に命を奪われたり、行方不明になる事件が相次いでいます。
昨日もまた、学びの場で、子供達を教え導くべき立場の者により、犯行が
行われました。

弱き者は守られねばならない。そんな私達の「常識」は、簡単に現実によって
裏切られます。弱き者に対して、私達の多くは通常、慈しみの気持ちを持ち
ます。けれど、全ての人が常にそうであるとは限らないのです。広島の事件、
そして、今回の京都の事件では、事件の経緯と犯人の人物像が様々に報道
されて、「なぜ犯人は、子供を殺すに至ったか」が示唆されています。

幼女に性的興味があったから。自分の人格を拒絶されたから。栃木の事件は、
真相が全く判明していませんが、遺体の状況は極めてサディスティックなも
のであったようです。長野の事件は、犯罪か家出かすらわかっていませんが、
「一時、子供を保護した」という偽証によって、社会を混乱させた女性がいま
したね。

弱き者を慈しもうとする気持ち。弱き者を傷つけようとする気持ち。どちら
も間違いなく人間の感情です。「心の癖」によって、前者の気持ちが強い
人もいれば、後者の気持ちが強い人もいます。けれど、善人と悪人がいる
という訳ではないという事を、私達は知らねばなりません。

十界互具、人の一瞬の心の中に地獄から仏様まで、善悪美醜あらゆる心
の要素が可能性として遍在しているという仏教の教えからいえば、誰もが
どのような状況にも変化しうるのですから。

昨日、とある場で若いお母さん達の会話が耳に入りました。
「うちの子供を可愛いと思った事なんて一度もない」
「あっ、私もそう」
「下の男の子は可愛いんだけど、上は女の子だからかなぁ。お父さん
を取り合うライバルみたいで」
「わかるわかる。1日に何10回も“お母さん、お母さん”とうるさいから、
“お母さんが今、何やってるか見てわからないの?!”って怒鳴りつけ
た事あるし」

我が家とは、ずいぶん違うなぁと思いながらも、自分自身を振り返ると、
そうした感情が自分の中に皆無ではない事に気づきます。私は、私の
子供達を心から愛しています。けれど状況によって、鬱陶しいと思う
瞬間はあります。

つい邪険に扱ってしまう事もあります。「躾のために叱る」という節度を
理不尽に踏み越えてしまうその瞬間は、後で振り返れば間違いなく、
自分の心に余裕がない時なのですよね。

もちろん、社会の中で生きるとは、本来そういう事です。様々な人がそれ
ぞれに心を抱えて生きている。だから、人生は理不尽に満ちている。その
現実を肌で理解し、一定の耐性を持つ事がなければ、子供達の「社会性」は、
極めて弱々しいものになるでしょう。けれど、それを口実に大人が反省を
失うべきではないし、子供が犠牲となる犯罪や児童虐待が正当化される
はずもありません。

私達は、誰もが意味の網の目を生きています。人が人と接するという事は、
意味が絡まり合い、響き会う事です。人間関係の中で、私達は時に優しい
感情に満たされ、時に憎悪が際限なく膨れあがって、その心に従って言葉
を発し、行動します。言葉はまた、心を掻き乱し、身体を動かしてゆく。

身口意の三業が互いに影響し合いながら、更に意味の網の目を織り上げ
てゆく。その過程を整える事こそが、人が幸せに至る道である事は間違い
ありません。

お釈迦様は「心の苦しみの原因となるから、何者も愛する事なく、社会から
離れて修行せよ」として、出家修行によって、初めて人は苦しみの輪廻から
逃れられると説かれました。それは、冷徹なまでの真理です。後に、仏教の
少なからぬ流派(現代日本仏教を含む)は、その点で修行方法を「後退(また
は「深化」)」させ、在家生活のままで救われる道を説くに至るのですが、
そこには信仰と、そして苦しみの可能性を引き受ける意志を必要としました。

家庭を持ち、社会生活を営む以上、私達は様々な人間関係を受け止めて、
生きてゆかねばなりません。その中で幸せを求めるならば、社会が、そして
何よりも自分自身が、心を穏やかに保つ努力と工夫を積み重ねる必要が
あるのです。

今日も良い一日でありますように。再拝

/福頼 宏隆(法華コム)
20051211

イチョウ

2005 年 12 月 10 日

ポッとココロに明かりが灯るような手紙をくれる友人がいる。全て手書きで、
いつもオマケ付き。それがご当地名物のお菓子だったり、一人用のコーヒ
ーだったり、雑誌のコピーだったり、おそろのストラップだったりetc. 

そして、いつも何かしらの御守が入っている。私が泰山に行った時に送って
くれたのは、エジプトのタロットカード(?)の中から3枚。これを持っていると、
旅から無事に帰って来れるという。今回のシンガポール&スリランカには、
遠足用のお菓子をいっぱい送ってくれた。いつも彼女の思いやりが伝わっ
てきて、どんなに寒い日でもココロは温かい。私はただただ有り難く、もら
った御守は普段のバッグに忍ばせている。

「とある雑誌のイチョウ柄のオルゴールボールが目に留まっていたので、
まだ在庫があるかしらと思いながら、Faxを入れました。すると、昨日TV
番組で、“イチョウは生きた化石~2億年の時を経て・・・”というのを
放送していました。ゲーテがイチョウをテーマに、恋人に手紙を書いて
いるそうです。

“元々1枚だったものが、2つに分かれたのか、2枚の葉が1つに結びつい
たものか。私という葉とあなたが繋がっているのがわかりませんか・・・”
というような文章に、イチョウの葉を添えて送った物が、博物館に残って
いるそうです。

イチョウの木には、雌雄があるんですよね。対の木がないと、銀杏の実は
つかないという。イチョウのオルゴールボールを身につけていると、ソウル
メイトに会えるかもしれませんね」

それでなんだね。可愛い鈴の付いたイチョウ形の匂い袋が入っていたのは(笑)。
血は繋がっていないが、私を実の妹のように慈しんでくれる。いつも気遣って
くれて、どうもありがとう! 前にもらった手紙には、東京に住む可愛い妹に、
いつも何か良い物がないかなと探している姉ですと書かれてあった。思わず
涙がこぼれ、このご縁に感謝した。

非力な妹はいつももらうばかりで、優しい姉に何もお返しできない事を心苦
しく思っている。せめて、彼女の健康と幸せを心から祈りたい。この祈りは、
必ず届くと信じている。そして、いつの日か私がソウルメイトに出会えたなら、
お姉ちゃんに真っ先に伝えるから、気な~がに待っててね(笑)。

今回、彼女がイチオシというサプリは、名前が気に入ったそうな。そっか、コレ
を飲むとそーじゃないヒトもそーなるんだね(笑)。そんな願いをこめて、マグ
カップに熱いお湯を注いだ。その名は・・・

「珈琲美人(笑)」
20051210

絶不調

2005 年 12 月 9 日

久々に家にいて、タップリ寝たつもりだが、疲れが全然取れない。
とにかく絶不調で、深大寺に行った時からめまいがしている。原因
は寝不足。ってコトは自業自得なのだが、風邪っぽい気もする。

お腹もシクシク痛んできて、未空父に話すと、「お前の場合は食べ
過ぎだろう。拾い食いでもしたか?」と言われ、全く心配してくれ
ない。それでも父親かーっ(笑)。

原因を探ってみると、私は寝る前に迷走している。最近は冷え込ん
でいたので、カーディガンをはおっていた。だが、はおっただけで、
前のボタンをとめていなかったのだ。それで冷えたらしいが、その
事実にずっと気づかずにいた。おろカ・・・ブ(笑)。

とりあえずホカロンを貼って、完全治癒はしたものの、来週、レク
チャーを2日続けて頼まれており、構成を考えようにも、頭が働か
ない。マジで参った(T_T) 空庵に来ようと思っても、ダルくてそれ
どころではない。ホ~ントに、こんなに絶不調なのは久しぶりだ。

あまりムリしないように気をつけるねとMy医女チャングムにMail
すると、すぐに「それはいけません」という件名で、「足の冷えは
ありますか? 顔がのぼせた感じはないですか? もしあれば、
上実下虚のめまいです。内踝とアキレス腱の間にある太経という
ツボにお灸をしてみて下さい。腎を補いますから、疲れにも効く
はず。私は風邪から復活しました」というMailが返ってきた。

冬はいつも“足の冷えない不思議な靴下”を愛用しているので、
寒さ対策は万全だ。この靴下はちょっと高いけど、本当に冷え
ないから不思議なんだよね(笑)。冷え性の方、是非お試しあれ。
顔がのぼせた感じも特にないかな。だが、過信は禁物だ。

ココロ優しいMy医女チャングムの教えを守って、なるべく早く
寝ようと思う27:27・・・

嗚呼・・・
20051209

降魔大師

2005 年 12 月 8 日

深大寺の境内で見つけた絵馬には、かなりユーモラスで、どことなく宇宙
人っぽいヒトが描かれている。このヒトこそ、厄よけの大師様として知られ
る元三大師だった。ちなみに、この元三大師様、実は「おみくじ」を最初に
考案した人でもあるとか。空庵にも御未空慈あるからね。感謝しなきゃ!

元三慈恵大師・良源上人(912~985年)は正月3日に亡くなったので、
この呼び名があるそうな。比叡山の18代の座主で、天台宗の“中興の祖”
といわれ、数々の霊験や説話が残っている。降魔大師、角大師、豆大師
などの異名を持つというから、やっぱね。

だって、元三大師の護符は、角が生えて、目はグリグリ。口は耳まで
裂けて、あばらが浮き出てるんだもん。フツーの仏様系のイメージと
はほど遠い。ちょっとデビル入ってますぅ(笑)。

疫病が流行していた984年(永観2年)、元三大師は鏡の前で座禅をし、
自らの姿を骨ばかりの鬼に変えた。その姿を写した弟子の絵をお札に
刷って、家々の戸口に張るように命じ、疫病を退散させたという。

自ら鬼となって魔物と闘うので、「降魔大師」の名があるんだとか。
カラダを張って民衆を守ってくれた姿に、私は惹かれたのか。元三
大師の絵馬を見た瞬間、そこだけ浮き上がっているような気がして、
他にはない何かを感じた。ある種のパワーとでもいえばいいのだろ
うか。その時、ふと降魔大師とソックリなキャラクターを思い出した。

それは世界を放浪した末、インドネシアが気に入り、現地の女性と
結婚した日本人Gさんだ。バリ島に住むGさんがお土産にくれたTシ
ャツは、彼自身がデザインしたもので、まさに降魔大師が縦笛を吹い
ていたっけ(笑)。大師は深大寺に自刻像を納めたが、室町時代に
深大寺が火事になった時、元三大師像だけは五大尊池に自ら飛び
込んで無事だったという。さすが、危機管理バツグン!

そっか、あれは魔除けTシャツだったのか(笑)。Gさん、どうもありが
とうございます! これからも大切に着させて頂きますね。
20051208

深沙大王

2005 年 12 月 7 日

出雲大社から始まったご縁結びは、スリランカ一の聖地・仏歯寺、コロンボ
のヒンドゥー寺院(←ムルガン寺院と呼ばれている)、仏教寺院(←現地の
ガイドさんは「ASHOKA RAMAYA」と教えてくれたが、ガンガーラマ寺院と
呼ばれているようだ。Netで検索してもなかなか出てこない(泣))、亀戸
天神、深大寺へと続いている。

深大寺(じんだいじ)は、東京都調布市にある天台宗別格本山の仏教寺院だ。
山号は浮岳山、寺号は詳しくは「浮岳山昌楽院深大寺」というそうな。いよ
いよ日本の神様が続くと思いきや、「深大寺」の名称は、仏法を求めて天竺
(インド)を旅した中国僧玄奘三蔵を守護したとされる神「深沙大王(じんじゃ
だいおう)」にちなむと伝えられるとか。えーっ、そうなの?

深沙大王は本来、疫病を除き、魔事を遠ざける功能のある神様であると
同時に、ぬわ~んと“縁結びの神様”だそうな。うわーっ、やっぱそうだった
んだ♪ 完璧呼ばれてたね。

この“縁結びの神様”は、赤い体に青い髪の毛。そして、首にドクロを巻き、
象の革の皮衣を身につけて、足は夜叉を踏みつけている。おまけに、手に
は蛇までもという徹底ぶり。これが深沙大王のお姿なんだそうな。やっぱ、
こういうエネルギッシュな神様がいてくれないとね。でも深沙大王は、
本当は優しい神様で、仲を裂かれた恋人達を助けて、恋を実らせてくれ
た誠に粋な神様なんだとか。さっすがーっ、やるじゃーん!

深大寺の境内に“花おみくじ”というのがあり、早速引いてみると、マリー
ゴールドが出てきた。オレンジの花は身体健全とあり、希望と心の輝き
を呼んで、あなたに幸福を招くと書いてある。今の私にピッタリだ。護摩
木を奉納して、私なりの満足を得る。今回、ご縁が結ばれながらも、深沙
大王には会えなかったが、次回のお楽しみというコトで♪
20051207

あの頃・・・

2005 年 12 月 6 日

T学院に入る前の私は、自分が何をやりたいのか、何に向いているのかわか
らず、ただ思いつくままに習い事をしたり、通信教育等を受けていた。しかし、
ここに入学し、素晴らしい全人カウンセラーのK先生にお会いして、私の将来
の道が開けてきた。

「心理」の勉強とは、「真理」を学ぶ事にも通じるという意識から、在学中に
インターネットで、ココロのお休み処“空庵”というホームページを立ち上げ、
カウンセラーとしてデビューする事に繋がった。

できない理由を並べるのではなく、今の自分に何ができるのかを、常に考える
ようにという先生のアドバイスは、カウンセリングの事だけに留まらず、ありと
あらゆる面で、自分の行動力の規範ともなった。

私が本気で、カウンセラーになろうと決めたと同時に、絶妙なるタイミングで、
様々な縁が繋がってきて、本当に必要な人間や物、情報全ては、必ず与えら
れると確信した。そして、自分に起こる事は全てに意味があり、気づきが隠され
ている。その気づきは、私に足りない部分であり、その部分を補ってくれるか
のように、色々な出来事が起こってくるとしか思えない。そう考えられるよう
になったのは、私がカウンセラーという、心の世界を見つめる職業を意識した
からに他ならない。これは、私の人生において大収穫だった!

「なぜ今、こういう事が起きているのか?」「ここから、どんな気づきを与え
てくれるのか?」等、自分の身に振りかかってくる事を常に前向きに捉え、
私という原石を磨いてくれる貴重な“砥石”として考えたい。

数年前から、K先生は自らを「全人カウンセラー」と名乗っておられ、それは心、
体のみならず、魂、環境、生きがい等、その人の人生に起こる全てのものを
見るという壮大なものであり、21世紀は、これらが特に重要になってくるの
ではないだろうか?

先生は「私は全てを見れるぞというカウンセラー魂を持って、日々センスを磨い
て下さい」と激励して下さった。とても心強く、且つありがたいと思っている。

T学院で、私のような出来の悪い生徒が、ここまで無事に辿り着けたのは、多く
の先生方の良きご指導の賜物である。影に日向に、サポートして下さった事務
局の方々を含め、皆々様に厚く御礼申し上げたい。そして、時に励まし、慰め、
勇気を与えて下さった素晴らしい仲間なくして、今の私は存在し得ない。ただ
ただ感謝のみである。

2000年7月4日に立ち上げたホームページ、ココロのお休み処“空庵”と、準師範
を得た太極拳の両輪で、常に今の私にできる事は何なのかを考えながら、邁進
する事を心に誓った。2年半、どうもありがとうございました。そして、これから
もよろしくお願い申し上げます。

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パチパチパチパチ。未空かく語りき。まさに青年の主張だね(笑)。意気込みを
感じるよ。♪若かった~あの頃~何も怖くなかった~って感じ。すでにこの時は、
メルマガ「空庵だより」を書いてたんだよね。そっか、太極拳は準師範だったのか。

その後、夜の心理療法のクラスはなくなったらしく、私は最後の生徒となる。この
クラスで、よど号ハイジャックの元妻Yさんと出会ったのは奇縁としか思えない。

市ヶ谷にある玄米菜食レストランで、Yさんから邦人拉致について聞かされた時の
衝撃は、今でも忘れられない。TVの特番ではなく、目の前に北朝鮮の手先となって、
拉致の手助けをした実行犯がいるのだ。本当に信じられなかった。自分の生涯を
かけて償いたいと言っていたYさんは今、どこで何をしているのだろう。心から
無事を祈りたい。  

今日、新しい点字名刺が届いた。この100枚は、どなたにもらって頂くのだろう。

また、私の新たなる“ご縁結び”が始まる。
20051206

問題の本質

2005 年 12 月 5 日

クライアントの方から、「10月に向島で偶然通りました金光教の支部の掲示板
の言葉を、押しつけがましいのですが書かせて頂きます。未空さんから“Noの
背後のYes”をご教示頂いた直後でしたので、道を間違えて出会ったこの掲示
板は、偶然のものではないと思いました」というお手紙を頂いた。美しく流れ
るような文字に、超クセ字の私はココロ洗われる思いだ。いつもご丁寧にあり
がとうございます。

「問題の本質」

あらゆる事件が起きても
どんな問題が起こっても
その事柄だけに目を奪われ
その問題だけに振り回されてはいけない
その問題の裏側にある何かをじっと見つめ
この事柄を通して何かを語ろうとしている
神の声(願い)に気づくことが大切である
そこに真の手がかりへの道が生まれる

そして、このお手紙を頂いた後、何気にMOのバックアップをチェックしていると、
4年前のT学院の卒業論文(←とゆーほどのモノでもない(笑))が出てきた。
その名も「療術師の在り方について」とある。うわーっ、超懐かしい。

そーそー思い出した。コレを提出して、学院長と面接するんだよね。内容は全く
覚えていない。あの当時の私は何を思い、どんなコトを書いてたんだろ? 自分
に対する好奇心がムクムクと湧き起こる。気分はタイムカプセルだ(笑)。

恐る恐る読んでみる・・・
20051205

焦る時こそ

2005 年 12 月 4 日

自分の仕事がはかどっていたり、目標に近づいていく達成感を感じている
充実感があると、人は安心します。けれど、それがなく、ただ日々を過ご
しているだけと思うと、焦りを感じる事があります。

また、知り合いが輝いていたり、成果を上げたりすると、うらやましい気持ち
とあいまって、自分の中に更に焦りが生まれます。それができない自分を
責め、それをさせてくれない周りを責めたくなります。

結婚して子供が生まれたために会社を辞め、「今の自分は、家族のためだけ
に生きていて、社会から取り残されたような気になる」と言っていた友達がいま
した。同期の女性が会社で昇進したという話を聞いて、焦りも感じていました。

でも彼女は、その焦り・・・その時いた状況も、昇進した友人の話も、全部
自分に還元させたのです。

自分を家に縛る事になるご主人や子供を恨むのではなく、一生懸命に家庭
でできる事を尽して、友人を妬むのではなく、自分もがんばろうという栄養と
したのです。

そうしたら、今、彼女は自分の経験を活かして、お母さんのためのネット
ワークを立ち上げて、イキイキと活動しています。

そして「全部、ムダな事はなかったなぁ!」と笑っているのです。

私は店を始めた頃、1日お客様がなく、予約のお電話もなかったりすると、
「世界中で、私がいるという事を知っている人なんていないのかもしれ
ない」と寂しい気持ちに襲われた事が度々ありました。

でも、いつからか「いや、そうじゃない」と思うようになったのです。

これは、「忙しいと手が回らない分を取り返しなさい」という事なんだ。
これも「自分が経験するのが必要だから、与えられた“時”」なんだ
と思ったのです。

そして、焦ってやきもきするのではなく、その時できること全て・・・
掃除をしたり、店のHPを見直したり、事務仕事を片付けたりしました。
そうすると、やがてお客さまがいらっしゃったのです。そうして、今に
至っています。

焦る時。

でも、その焦りは、「必要な焦り」なんですよね。でも、その焦り
が落とし穴になるか、踏み台になるかは分かれ目があるのです。

焦って、「自分なんてダメだ。周りのせいだ」と自分や周りの人や
状況を責めて行動するのを止めると、穴に落ちこんでしまいます。

そこを「今、自分がこういう状況にいるのは、必要な事なんだ」と
腹をくくり、そこで「自分が今できる一生懸命」をやっていたら、
いつの間にか自分が成長していて、思いがけない事ができる力
が備わっていたりするのです。焦りは踏み台、ジャンプ台になる
のですね。

焦る時こそ。

目の前の事を。

小さな事からコツコツと。

何もできない時こそ。

明るい言葉をかけて、周りを照らす事くらいでも。

それこそが「経験するのが必要だから」与えられている事なんだ
と思います。

/恒吉 彩矢子
20051204
♪今日のインパクト第1位 in 調布 見事ケニア・リベンジを果たしたK嬢、カナダ帰りのデザイナーの友人と3人で国際基督教大学へ紅葉狩り。お蕎麦を食べに深大寺へ行く途中、ジモティK嬢が案内してくれた売り出し中の億ション。有名な建築家がデザインし、パーツに至るまで全てが特注なので、バカ高なんだそうな。だが、すでに売れてる棟もあるとか。最後は「姉歯からんでると見たね。地震の時はヤバいよ。間違いないっ」とゆー結論に落ち着く(笑)

続・光輪

2005 年 12 月 3 日

ふと見える光輪のナゾ。その前に、他の部屋のライトはどうなんだろうと見回してみた。
まずわかったのは、蛍光灯の白色系はダメだという事。ライトボールでも、この洗面所
の灯りだけが特別なようだ。How come? 理由はわからないが、とにかく私なりの
仮説を立ててみた。

「光輪が見える時は、迷走に深く入れた時であり、体調がすこぶる良いというサイン」
なのかも。日頃から、私の迷走はどれくらい深く入れているのか知りたかった。もち
ろん体調が良いというのは、何よりの証拠だが、もっとわかりやすい方法でバロメー
ターになるものはないだろうか、と考えていた。何でも結果を急ぐのが私の悪いクセだ。

でも、知りたいのよ。お・ね・が・い(笑)。そんなワガママな私に、ヴェーダの神々
が応えてくれたのだろう。求めよ、さらば与えられん。それが「洗面所のライトによる
判定法」だったのだ。おそらく私だけだと思う(笑)。

こうなると、何でも自分でやってみないと気が済まない“体感派魂”が沸き起こる。
メラメラと燃え上がる好奇心。フッフッフッ。My人体実験で、「光輪が見える時は、
迷走に深く入れた時であり、体調がすこぶる良いというサイン」という仮説を証明
してみよーじゃないか。

そこで、朝起きると、まずは洗面所のライトを見るのが日課となった。わかったのは、
光輪が大きくハッキリと見える時は、目覚めも良く、爆睡できているという事。光輪
がほとんど見えない時は、何となくパッとしない朝となる。体調然り。

ある朝、ものスゴーくキレイな輪っかが見え、コーフンしていると、両手がピリピリ
してきた。実は、自分がココロから喜んでる時、うれしい時、分かち合える人と話
をしている時etc. 手の平の中心にある労宮(ろうきゅう)というツボから、気(エネ
ルギー)が溢れ出るのがわかる。これと同じ現象が、今私の右手に巻いている
仏歯寺から頂いた白い糸紐にも起きたのは、素直なオドロキだった。

私の場合、迷走中、真っ先に反応するのは手の平だ。だから、必ず手の平は上に向け、
反応を見る。ここで太極拳の二十四式の型の1つで、ボールを抱えるような感じにす
ると、そのボールはだんだん大きくなっていく。これを元気玉と呼ぶ人もいるくらいだ。

ちょっと前まで迷走中、足先がしびれていたが、最近はそうでもない。私のカラダが
変化しているのだろう。呼吸は、ムリに丹田呼吸(腹式呼吸)にしない方が良いと
いう結論に至った。腹式呼吸をすると、どうしても肩に力みが入り、アタマがミョ~に
覚醒してしまう。こうなると、私のような超未熟者は、迷走に入れなくなる事が多い。

太極拳のS先生には、「頭が本当の意味で活性化するのと、単に興奮するのとでは
全然違うのよ。本当の呼吸は、スヤスヤで静かなの。腹式呼吸が○で、胸式呼吸
が×ではないでしょう。世間一般に良いと言われている呼吸法も、自分の体に合わ
ないと思ったら止めてみる事も大切。常に、自分にとってどうなのかという事を
検証してみて。未空さんは、それをする時期にきてると思うの。これは瞑想だけ
に限らず、全てに通じるはずよ。周りに惑わされず、自分の感覚を信じてね」と
言われたばかりだ。

とゆーワケで、これからも好奇心全開で迷走しながら、未空オリジナル「洗面所の
ライトによる判定法」を続けていこうと思う(笑)
20051203

光輪

2005 年 12 月 2 日

毎晩、寝る前のお約束として、瞑想ならぬ“迷走”を始めて9ヶ月(笑)。
3/19に固有のマントラを頂いて以来、私のカラダは激変し、数々の
不思議体験をしてきた。私より前から瞑想しているお姉さんに話すと、
「えーっ、ホント?! 私はそんな風になった事ないけど、ソレは
ビックリするわよね。でも、それだけの事を体験したら、もう止めら
れないでしょ」と言われた。確かにそうだ。

おかげで3/19から今日まで、私の迷走体験は悉く、未空ブログこと
略して「未空風呂(Diary)」にUPしてきた。ご興味のある方は3/19
から順番にクリックしていくと、未空の「迷走ヒストリー」が楽しめ
ますぅ(笑)。そして最近、また新たなる発見がっ!

私は小学生の頃から超深夜型で、早起きすると熱を出すという重~い
ハンデを背負っている。夏休みのラジオ体操に果敢に挑んでも、いつ
も3コ目のハンコはない。体内時計が狂っている・・・のではなく、グロ
ーバル対応になっていると自負している。だから、海外に行っても、
ほとんど時差ボケが起きない(←とゆーか、元々ボケてるといった方
が正しい(笑))。

最近も相変わらず布団に入るのは遅く、それから迷走をするので、ます
ます睡眠時間を減らす事となる。これではイカんと思い、そこそこで
迷走を切り上げ、睡眠を優先にしていた。だがある夜、あまりに気持ち
が良かったので、カラダに任せたまま、ずーっと迷走し、眠りについた。

翌朝、ふと洗面所のライトを見ると、なぜかとても明るい。それに今まで
見た事もないようなキレイな光輪が見える。ンっ? おや~? 目を
ゴシゴシこすって、もう一度見ても、やはり光輪がハッキリと映っている。

ふーん、まっ、そんな時もあるかもね。その時は、それで終わった。
数日後、前の晩に迷走をしなかった翌朝、洗面所のライトを見ると、
光輪が見えない。えっ、どうして? 目をこすって、顔を洗って、
もう一度見てもナ、ない。これはもしかして・・・

to be continued!
20051202
シギリアの壁画の美女に会うため、巨大な岩をすり抜け、上へ上へと登って行く。それにしても広大な王宮だ。ここでどんな人達が、どんな生活をしていたんだろう? 昔に思いを馳せてみるも、雨で足元はぬかるんでる上に、階段が結構、急だったりするから、ロマンに浸るのは危険だわ(笑)

スッキリ・・・できない

2005 年 12 月 1 日

とあるメルマガから送られてきて、早速トライしてみた。
下の方に日本語の説明文があるので、是非アナタも
やってみてほしい。

http://blog5.fc2.com/y/yonehan/file/psychic.html

うっぴょ~、何で当たるの? ねぇねぇ、不思議じゃ~
ないですか。何度やっても必ず当てられてしまうワタシ。

絶対カラクリがあるのはわかってるんだけど、何でだろ?
どーしてなんだろ? うーむうーむ・・・ やっぱり
わかりましぇ~ん。あの長い地下鉄をどうやって入れる
のかわからないくらい、一人悩んでます(笑)。

「わかった!」とゆー賢い方がいらしたら、愚かなバホ
未空にコッソリ↓Mailして頂けませんか?
   coo-an@risoweb.com

今は、伊東四朗に思いっきりイガイガボールを投げつけ
たい、そんな気分です(笑)。早くスーッキリしたいので、
空庵の皆さんの優しいご協力を当てにするばかりです。
そーじゃないと、眠れないよぉ。マジでよろぴくね♪

20051201
かなり雨が降りしきる中、パンツの裾をまくって、シギリアの「ライオン・ロック」へ。そばで見ると、大迫力だった! あそこに「シギリア・レディ」と呼ばれる壁画の美女がいる。相変わらず傘を持たない私は、ジモティのポーター(?)に傘を借りるハメに。後に5ドルと請求されたが、それではあまりに高すぎなので、3ドルにまけてもらう。

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