2009 年 2 月 5 日 のアーカイブ

ホーム >  未空ブログ > 2009 > 2月 > 05

才能は誰にでもある!

2009 年 2 月 5 日

私(鈴木健二さん)は、津軽の弘前の旧制高校に行った。

時代はちょうど戦争の最中。

戦争が終わった時は、18歳だった。

ある日、一人のアメリカ人牧師が、私を訪ねて来て言った。

「今、日本には孤児がたくさんいます。私達だけではとても
手が回りません。あなたも、子供達の面倒を見てもらえませんか」

私は快く引き受けた。

翌朝、牧師さんがやって来た。

私はその姿を見て、腰を抜かさんばかりに驚いた。

牧師さんは、下は3歳から上は13歳までの浮浪児を
68人も連れて来たのである。

18歳の私は、こうして68人の父親代わりになった。

与えられたのは、窓ガラスが割れ放題の兵舎。

私は毎朝3時に起きて、68人分の朝食と
学校に通う30人分の昼の弁当を作った。

そして、夕食も作った。

そのうち津軽に冬がきた。

粗末な兵舎は想像を絶するような寒さだった。

私が板張りの上に寝具を敷いて、大の字に寝ると、
その周りに小さな子供達が何人も集まって寝た。

肌を寄せ合い、そうして寒さを凌いだ。

私が毎日、必死に面倒を見なければならない68人の子供の中に、
一人の少女がいた。その子は精薄児だった。

名前も年齢も、両親の名も、どこから来たかもわからない。

多分、12、3歳くらいだったろうが、痩せていて背も低く、
おまけに耳が聞こえず、ほとんどしゃべれなかった。

しかし、この少女は68人の中で、誰よりも素晴らしい能力を
発揮してくれたのである。

それは洗濯だった。

68人分の洗濯をこの少女は、毎日、朝から晩まで
黙々とやってくれた。

洗濯機などない。全て手洗いである。

彼女の手はしもやけとアカギレで、饅頭のように膨れ上がり、
しかも血だらけだった。

私はこの少女に、何かお礼がしたいと思った。

しかし、飴一つ、煎餅一つない生活である。

私が「ありがとう」、小さな子達が「お姉ちゃん、ありがとう」
と言うと、おそらく態度でわかるのだろう、かすかに微笑してくれた。

それが、その子にしてあげられるただ一つのお礼だった。

その後まもなく、孤児院を世話する後継者が何人か現われ、
私はその孤児院を去った。

その1週間後、少女は、施設の門の前で車にはねられて即死した。

耳が不自由だったあの子は、クラクションの音に気づかなかったのだろう。

だが、私はこの幸薄い少女との交友を通して学んだ事がある。

それは神様は、どんな人間にも、一つだけは、
他人にない素晴らしい才能を与えて下さっているという事である。

あの子は洗濯をする事で、自分の持っている才能を発揮した。

あの子はその才能を自分のためにも生かし、
67人の子供達にも分け与えて死んでいった。

私は今でも、あの子は、今日も天国のどこかで
きっと皆の洗濯をしてやっていると信じている。

鈴木健二さんは書いています。

「人間の価値とは、どのように生きたかの質の問題である。
  
その意味であの子は、実に素晴らしい価値ある人生を送ったのである」

私達にも才能があります。

その才能を使って自分を生かし、
人のためにもなるような事ができると思います。

人のために洗濯をする。

人のために食事を作る。

人のために何かできる。

それは素晴らしい才能です。

そんな才能を与えられているのであれば、
 
素晴らしい価値ある人生を送る可能性を
私達は持っているのだと思います。

【出典】鈴木 健二著「気くばりのすすめ」
(この本は、1982年に出版され、大ベストセラーとなりました)

復刻版も出ています。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766209486/tn06-22/ref=nosim/

/中井 俊己(作家、教育コンサルタント)
 メールマガジン「心の糧・きっとよくなる!いい言葉」より抜粋、引用
20090205
♪おーっと、小田原城の真ん前にぬわ~んとゾウさんがいたぁ。パオ~ン。コレは想定外(笑)。日本猿もいたんだけど、狭いオリの中でかわいそう。もっと広い場所に移してあげてほしいなぁ。

twitterページ
facebookページ
Amebaブログ