2011 年 9 月 24 日 のアーカイブ

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魔物の正体見たり

2011 年 9 月 24 日

「自分の望んでいるものが、自分の望んでいるカタチで、人生にやって
くるとは限らない」と言ったのは、致命的な自動車事故から、奇跡的な
回復を遂げたミッチェル・メイだ。彼は後にヒーラーとなり、ピュアシナ
ジーで有名なシナジーカンパニーCEOで、設立者となった。
http://www.synergy-co.jp/mitchell_may/index.html

私が以前読んだアラン・コーエンの書籍「人生の答えは、いつも私の
中にある(I Had It All The Time)」でも、「“No”の背後に“Yes”
がある。あなたには、それが必要ないのかもしれない。受け取っても、
あなたの益にならないものを求めたのかもしれない。

だから、あなたが聞いた“No”は、実のところ、高い見地からあなた
のために良い事で、その方向を指し示す恵みの声があなたに、
“Yes”と言っているのだ」とある。

一見、不幸に見える失恋や離婚、ケガ、病気、事故、リストラなど
がきっかけで、その後、人生の大きな転換期を迎え、自分の進む
べき道が明確になった人は多い。

ネガティブな事は大抵、自分を振り返るきっかけになり、大変
な時は、「大きく変わる」時でもあるのだ。私が冷水を浴びせ
られた事も、銀行のカードが保管期間をとっくに過ぎて、知ら
ぬ間に破棄されていたのも、全てガードの甘さからきているし、
人を見抜く力が圧倒的に足りない事も教えられた。

なぜ、今の今まで気がつかなかったのだろう? ホントどこを
見ていたんだか(泣)。つくづく情けないよなぁ。ったく。

だが、全ては自分発だ。

幸せ・不幸せを決めているのは、起こった出来事ではなく、
その出来事に、どう意味づけしたか。そこから何を学ぼう
としたか。「意味づけ」つまり、その起こった出来事をどう
受け取るかで、人生は決まる。

Noの背後にある“Yes”を意識して、“人間”と付き合おう。
来る者選んで、去る者追わず。

お酒の神様「松尾大社」は、京都駅から離れているが、行くだけの価値はある。松尾山は「別雷山」ともいって、七谷に分かれ、その一つである大杉谷頂上近くの斜面に、巨大な岩石がある。これが古代の「磐座(いわくら)」で、社殿祭祀以前に松尾大社のご祭神を祀っていた所だ。昔からこの磐座をご神蹟、御鎮座場と称して敬拝し、神職以外の登拝を禁じた神聖な場所だそうな。私は着いたのが遅くて、磐座を見る事はできなかったが、次回は是非、松尾山に登ってお参りして来たい。

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