「神なき神学」を説く神学者・高橋敬基

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先日、友人が送ってくれた「生きて死ぬ智慧」はベストセラーなんだそう。
詳しくは7/16の「空」を読んでね。般若心経なのだが、それを訳した柳澤
桂子さんは、生命科学者にして歌人という。先日の大地震の際、品川の
本屋で彼女の新刊本を見つけた。タイトルは忘れてしまったが、表紙は
現在の柳澤さんが写っていた。やはり只者ではなかった。

今までよく生きてたなぁと思うほど壮絶で、もし、こういう苦しみを味わ
ったら、この世に神も仏もあるものかと考える方が自然だと思う。人生
の半分以上を闘病生活で過ごし、自殺願望も強いという彼女の半生。

なぜ、自分だけがこんなに辛い目に遭わなければならないのか。痛み
をこらえなければならないのか。どんなに願っても健康になれないのか。
その長きにわたる深い悲しみは、私如きが知るよしもない。

昔、たまたま見たドラマで、足の不自由な中年女性(確か被爆者でもあっ
たと思う)が老いた父親と静かに暮らしていた。そこへ、新聞社か雑誌社
に勤める女性カメラマンが現れる。仕事をテキパキこなし、ポニーテール
が似合う元気で明るい彼女の周りには、いつも男性の姿があった。

主人公の中年女性は、彼女の若く眩いばかりの健康美に、自分が今まで
感じた事のない嫉妬、空虚感、絶望感等の複雑な感情に苛まれる。若い
彼女は、私にない全てのものを兼ね備えている。なぜ彼女のように、
健康で明るく可愛い女に生まれてこなかったのか。私の人生は何だっ
たんだろう。これからどうなるんだろう。

もう何から何まで、急に自分がみじめに思えてきて、真夜中に声を押し
殺し、一人泣く。泣いても泣いても涙が止まらない。これ以外、自分を
慰めるすべがない。だから、また泣く。そして、共感している自分がいた。

私はそのシーンしか覚えていないが、ドラマの主人公と柳澤さんがある
意味ダブって見えた。壮絶な闘病生活の最中、必死に救いを求めた柳澤
さんに、ある牧師さんが1冊の本を送った。タイトルは「他者中心性なる神」
残念ながら、Amazonにはなかったね(泣)。

この著者は、神なき神学を説く高橋敬基(よしもと)さんという神学者で、
ネットで検索したら翻訳もやっていた。教会で説教もしてるんだね。

柳澤さんの「まさに私の求めていた神がここにありました。私は無宗教
です」という一文が印象的だ。地獄を見た彼女が辿り着いた神とは? 
その世界観とは? そして、神なき神学とは?

私の新たなワンダーランドが始まろうとしている。
20050725

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コメント / トラックバック 5 件

  1. 山崎樹弥 山崎樹弥 Says:

    > 神なき神学を説く高橋敬基(よしとも)さんという神学者

     たかはし よしもと 
    です。よしともではありません。

    「他者中心性なる神」はかなり以前に電子化したのですが、校正してくれる方が見つからない & 権利関係について出版社との問題がよく分からない事が主因で一般公開できていません。ファイルは高橋敬基氏にも渡してありますし、公開できる条件が整えばネットで公開しようと言う事で合意しています。

     高橋敬基氏は現在研究者としても現役を退き古楽器(バロック時代頃に一般的であった鍵盤楽器のクラビコード。J.S.Bachも作曲はクラビコードを使用していたと考えられています)の工房を開き音色の追求をされています。静かに余生を送らせてくれと言われるのですが、それは確かに願望で有るかもしれませんが本心では無いだろうと思っています。この本が世との窓となり彼の研究成果がもっと広く広がる可能性が有るのでは無いかと思います。私は先生をそっとしておくつもりは無いんです。潜在的に必要とされているエキスパートであろうと考えています。

  2. miku miku Says:

    山崎さん、初めまして。こんにちは。
    コメント及びお名前のご指摘、ありがとうございました。
    即修正しました。

    「他者中心性なる神」は、私がとても読みたい本でしたが、
    アマゾンで見つからなかったのは、そういう背景があったんですね。
    今回、初めて知りました。教えて下さり、心から感謝です。

    高橋敬基さんのような方には、もっと世に出てほしいと切に願っています。
    山崎さんがおっしゃるように、潜在的に必要とされているエキスパート
    だと、私も考えておりますので。

    「他者中心性なる神」が一日も早く、ネットで公開されますように、
    心からお祈りしております。ありがとうございました。

  3. 日比野幸楽 日比野幸楽 Says:

    質問です。『他者中心性なる神』の中で、「神」を、なんとかの「総体」と表現している箇所がありますよね。あそこのところ、正確には何と言われているか教えて頂けませんか?ずいぶん昔に読んだきりで記憶が定かではないので、よろしくお願いいたします。

  4. 日比野幸楽 日比野幸楽 Says:

    すみません、、質問の答えがわかりました。「他者から生きる方向に自己の生を変革せしめる、”他者の”、いわば”総体”」とのことでした。

  5. 村上 村上 Says:

    素晴らしい書籍,小生もようやく入手でき 多くの感銘を受けました 

    今でも新鮮な内容です。

    さて P116-7行のところに 抜けがあるようです ”同様に、るからであ”
    勉強させていただきたく ご指導願えれば有り難い

    ーーーー
    なぜなら、統一から自由への移行はこの「逸脱性」によるのであり、同様に、るからであ(P116-7行)「統合への規定が(統合と相容れない)差別に打ち勝つ」(一七二頁)のもこの「逸脱性」による。「ああ、かわいそうに」という惻隠(そくいん)の情は、たしかに「天然自然」の「定め」として理解できるが、それが単なる情ではない行為となる時、「ああ、オレは何て馬鹿なんだろう」という、「逸脱」的行為として行為者には自覚されるのである。このように「統合」は「定め」と「逸脱性」という、いわば関係的存在としての人間の二元性の弁証法として理解するのが正しい。
    ーーーー

たった一言でもいいので、コメント下さいね。

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