マイブーム

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昨日「よしっ、恐ろしい破壊の神シヴァに会いに行こう」と書いたが、この破壊神
シヴァこと「マハーカーラ」には、もう1つ重要な別の意味があるらしい。マイブーム
の「ヒンドゥー教~インドの聖と俗(森本達雄著:中央公論新社刊)」によれば(笑)、

「カーラ」には「黒」という意味の他に、「時・時間・運命・死」等の意味があり、「マハ
ーカーラ」とは「大いなる時間」という事にもなる。思えば時・時間ほど恐ろしい、
確実な破壊者はない。生まれ出たもの、生命あるものは、刃や弾丸、あるいは事
故を逃れたとしても、時によって、必ず滅ぼされ、死んでゆかなければならない。

この意味で時・時間は物言わぬ破壊者、死の神だといっても過言ではない。しかし
反面、時は新しい生命を生み、育み、育てる恵みの神でもある。春に萌え出た1本
の草花は、夏には生い茂り、秋にはしおれ、そして冬には死を迎えなければなら
ないが、その死は、新しい生命の誕生を約束し、芽吹きを準備するため、いわば
自然の自己犠牲である。

そして、この創造のための破壊を司るのが、時間「カーラ」である。ここにおいて、
恐ろしい破壊の神シヴァと、恵みの神シヴァの2つの顔が、それこそ1枚のコインの
表裏のように、完全に一体化するのである。ヒンドゥー教は、この厳然とした自然
の巡り、宇宙の法則を哲理とし、その哲理の上に成り立った自然宗教である。

創造がなければ、破壊もない。破壊がなければ、創造もない。相反する2つのも
のを同時に備えているのが自然な姿で、これこそ奥義だ。うーむ、深いじゃないか。

ヒンドゥー教は宗教だが、もし、宗教という言葉が嫌なら、「人間が自己を超えた
ものの厳しい目を感じる心を持つ事」といっても良いだろう。すなわち、頭から布団
をかぶっても、どこに逃げ隠れしても、全てを見透かされていると意識し、畏怖する
心である。その自己を超えたものを、神と呼ぼうと、宇宙の原理Dharma(ダルマ)
と呼ぼうと、大自然、または大自然の法則、摂理と呼ぼうと、人間の内なる良心と
呼ぼうと、あるいは遠藤周作氏の最晩年の名作「深い河(1993年←私は映画を見て、
感動したんだよね。サリーを着た秋吉久美子が、ガンジス川で沐浴するラストシーン
は本当に美しかった!)」の表現を借りて「玉ネギ」と呼ぼうと、何と呼んでも良い
訳である。ともかく、人間は何かの前で畏怖し、謙虚になるのでなければならない。

それがなくては、人間の性(さが)は、今日のような物質万能社会では、本能の
赴くまま、ますますひもじく卑しくなるばかりである。

フンフン。♪だーよーねー。釈尊は「大自然を抽象化すれば神となり、神を具象化
すれば大自然となる」と語っている。さっすがー! うまいコト言うなぁ。山田さん、
座布団10枚。歌丸さんと喜久ちゃん、こんちゃんからも取ってってって感じ(笑)。

迷走、ヴェーダ、ヒンドゥー教etc. 7年ぶりのインド熱復活で、♪マイブームがっ
(フォーッ)止~まらないっ(笑)
20051025

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