2008 年 10 月 5 日 のアーカイブ

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癌の聖人・聖ペレグリン伝②

2008 年 10 月 5 日

追って来るペレグリンに気づくと、一行は彼を迎えるため
に足を止めました。追い着いたペレグリンは、彼らの足元
に身を投げ出すと、自分の行動を深く謝罪しました。

謝罪は喜んで聞き入れられました。しばらく会話を続ける
うちに、聖フィリポはペレグリンが、心根は高潔な人物で
ある事を見抜きました。そして、生活を根本的に刷新する
よう励ましたのです。

フォルリに戻ると、ペレグリンは率直に、きっぱりと自分
が悔い改めた事、またしばらくの間、聖フィリポと約束
した新たな生活に身を投じる事を宣言しました。

フォルリの住民達は、目の前で起こっている事態が信じ
られませんでした。たった今、教皇の使節を打ちのめし
たばかりの街の不良が、今や回心したと言っている。
人々は戸惑いましたが、それが真剣なものである事は、
徐々に受け入れられていきました。

じわりじわりと、他にも回心する者が出てきました。
生活を改善したいというペレグリンのひたむきさが、
みんなに伝わったのです。その雰囲気に応じて、
教皇は再度、皇帝派を攻撃しました。そして、フォ
ルリを守っていた城壁を破壊すると、ついに市から
皇帝派を追放しました。

一方、ペレグリンは来る日も来る日も、フォルリの
あちこちにある教会に足を運び、熱心に祈りました。
とりわけ、フォルリの大聖堂で崇敬されている聖母
のフレスコ画の前では、何時間も祈り続けました。

ある日、いつものように祈っていると、ペレグリンの
目は聖母像に釘付けとなりました。聖母像が動き
出したのです。聖母像はペレグリンに近づくと、こう
言いました。「我が息子よ、あなたを救いに来ました。
シエナにある私の僕(しもべ)達の家に行き、仲間
に入れてもらいなさい」。

こう言うと、聖母の姿は消えました。ペレグリンが
再び壁に目をやると、そこにいるのは、息子をじっ
と見つめる描かれた聖母だけでした。その日の
夕方、ペレグリンは父親の家を去りました。

「アヴェ・マリア」の鐘の音が、聖母マリアの塔から
ちょうど流れ始めた時、ペレグリンはシエナに到着
しました。修道院の扉を叩くと、ペレグリンは、聖母
がここへ自分を遣わした事を告げました。修道院長
は父のような優しさで、この若者を迎え入れ聖フィ
リポの元へ通してやりました。聖フィリポはペレグ
リンがやって来る事を予感して、すでにシエナに
到着していたのです。

徹底的に回心するという情熱で、ペレグリンは修道
院が定める道に従い、生活しました。熱心に修行を
続けるうちに、ペレグリンは修道会から司祭になる
よう求められるほどになりました。

自分は司祭の器ではないと信じていたペレグリンは、
修道士のまま、一生を終えたいと思っていましたが、
修道会はその願いを聞き入れてはくれませんでした。
仕方なくペレグリンは、司祭になるための勉強を
始め、やがて無事に試験に合格しました。

司祭となったペレグリンに課せられた最初の仕事は、
フォルリに新たな修道院を造る事でした。若い頃、
無法者として過ごした故郷に、修道院の創立者と
して戻る事になったのです。

新しい修道院の建設は、急速に進みました。1308年
に修道院は完成し、その年のフォルリの修道士集会は、
そこで開催されました。

フォルリの修道院長として、ペレグリンは会則で
定められた条件をはるかに超えた厳しさで、修行
に身を捧げました。彼は自分の欲求を抑えるため
の方法をいくつも開発しましたが、中でも気に
入っていたのは、できる限り休息を取らないと
いうものでした。
20081005
♪浅草で行われた東京すぴこんに、初めていらっしゃったYさんとRさんから、綺麗なバラの花束を頂きました。とってもうれしかったです。お2人の優しいお心遣いに感謝しています。どうもありがとうございました!

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