2008 年 12 月 2 日 のアーカイブ

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最期

2008 年 12 月 2 日

昨日から祖父(母方)が危篤になり、危険な状態です。
家族で病院へ駆けつけたところ、祖父は酸素吸入器を
つけられていました。

まあるい顔でいつも歌を歌い、ニコニコしていた優しい
祖父が、眉間にシワを寄せ、とても苦しそうな表情で目
に涙をいっぱいためて寝ている姿を見るのは、とても
辛かった。

私達が耳元で「おじいちゃん!」と声をかけると、苦し
そうな中でも、意識はあるようで反応してくれて・・・

その時、初めて知ったのですが、耳は心臓が止まっても、
数分間はまだ聞こえているそうなんです。

そして、赤ちゃんが一番最初に機能するのも聴覚。

心臓が止まっても、最期まで残る機能も聴覚。

人は耳で母の声を聞く事から始まり、最期に大切な人達
の声を耳に残しながら、死んでいく。

祖父が生まれて、最初に聞いた言葉はきっと「おめでとう」。

そして、最期に聞くのは「ありがとう」だろう。

人は「おめでとう」から始まり、「ありがとう」で終わる。

これが、その人の人生のひと回り。

最期の「期」という漢字には、ひと回りという意味と、
約束して会うという意味があります。

最期の「最」は、最高の「最」ですね。

「最」この漢字、よく見ると「日取り」と見えてきます。

つまり「最期」とは、きっと生まれた時に、神様と
また会いましょうと約束した最高の「日取り」。

そして、その日取りは、その人がこの世でやる事を
やり終えた、ひと回りしたその最も最高の日。

祖父は今、神様と約束した日取りに向かって、
最期のひと回りを精一杯生きています。

本当は苦しくて、酸素吸入器を取りたいはずなのに。

子ども、孫、友達が最期に会いに来るまで頑張っています。

今年で93歳になるはずでした。

生まれた時から、心臓の弁に穴が開いていた祖父は、
そんなに長生きはできないと言われていたのです。

だから、誕生日を迎える事をいつも純粋に喜んでいました。

年を重ねる事は、思い出を重ねること。

それは、いくつになっても喜びなんですね。

神様と約束した最期の日取りは、必ずやってくる。

その日まで、私も命いっぱい生きていきたい。

/てんつくマン
 携帯メルマガ「「てんつくマンのアホな男の遺言」より引用
20081202
インドの聖者ラマナ・マハリシが最期に過ごした洞窟は、現在、建物の中に大切に保存されている。以前は公開されていたが、現在は見られなくなってしまったそうな。私はどこで、最期を過ごすのだろう。いずれにしても「今、自分にできる事」略して「イマデキ」を続け、何事も悔いのないようにやり切りたいと思う。♪それが一番大事

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