2011 年 5 月 6 日 のアーカイブ

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心眼で聴く

2011 年 5 月 6 日

私は平成2年、小学校校長を定年退職してから4年間、
郷土の先哲・中江藤樹の徳を顕彰して建てられた
「安曇川町立近江聖人中江藤樹記念館」を
お預かりしておりました。

毎日、訪れて来られる入館者の団体に対して、
その求めに応じて、講話の時間を設定して
「中江藤樹の教えに学ぶ」と題して、
話をさせて頂いておりました。

この間、人に話をすること、聴いて頂く事の難しさを
嫌というほど体験させて頂いた次第であります。

ところで、このように話をさせて頂いておりますと、
次第に聴き手の座られる位置によって、
聴き手の話を聞く態度を把握できるようになりました。

本当に話を熱心に聴きたいと思っておられる方は、
決まって話者の近くの正面に座って聴かれる。
ところが、話にあまり興味のない方は、
出口の近くに座って、話が終わったら
すぐに退出できるような位置に座られるという事であります。

そこで私は、話を始める時は、
必ず全体の聴衆の方のお顔を一巡回り眺めて、
前にはどんな方が、後方の出口に
どんな方がおられるかを見渡してから、話をするようにしました。

つまらない話を聞くよりも早く退出したいと
思っておられる方が、次第に私の話に引き入れられて
「うん、うん」と相槌を送って下さるようになれば、
その日の私の話の評価は上。

いつまでも後に座っておられる方が、
そわそわ、キョロキョロして落ち着かない姿をされる時は、
評価は下と考えておりました。

ところで、ある日の事でした。

白髪の上品な老婦人が私の目の前につつましく座られたので、
私は「今日の講話はきばってしよう」と
勢い込んで話を始めました。

ところがどうでしょうか。

話を始めた途端、老婦人はいきなりコックリコックリと
居眠りを始められたのです。

私は今日までの自分の経験が間違っていたのかと
一瞬思いましたが、気にかけまいと
淡々と話を進めてまいりました。

しかし、どうしてもその老婦人の事が気にかかるので、
自然とその老婦人の方に視線がいくのです。

老婦人は、私の思いも知らずに、
いかにも気持ち良さそうに居眠りを続けておられます。
講師の目の前で、このような態度をとられると、
「お前の話は少しもおもしろくない。ダメですよ」
と評価されているように思えて、気勢がそがれ、
話しづらくなるものです。

できるだけ無視して、話を進めようとするのですが、
また、自然と老婦人の方に目がいってしまうのです。

私は、この方は表面は端正な容姿をしておられるが、
講師の目の前で居眠りをするなんて、
常識外れで不作法な方ではなかろうかと思いました。

やがて話が終わりかけの部分になりました。
老婦人がどうされているかチラッと見ますと、
どうでしょうか。

目をパチッと開けられたではありませんか。
しかも、私の顔を見てニッコリ頷いて下さっているのです。

何という現金なおばあさんだ。
私が話を始めた途端に居眠りを始め、
話が終わった途端に目を開けるとはとんでもない、
と不愉快な思いがしたのですが、その時突然、
常日頃から心の師としてお慕いしている
故東井義雄先生の
「おばあちゃん ありがとう」の詩を思い出したのです。

こっくり
こっくり
いねむりしていらっしゃる
おばあちゃん

わたしの話でも
聞いてやろうと思ってここまで来てくださったのに
おばあちゃんのほしいものを
わたしがようさしあげられないものだから
こっくり
こっくり
いねむりをしていらっしゃる

すみません
それだのに おばあちゃん
わたしは さっきまで
聞いてくれたらいいのにと
おばあちゃんをうらみました

すみません
気がついてみたら おばあちゃん
私も せっかく この世に出していただきながら
聞くために
耳をいただきながら
聞こうともせずに
求めようともせずに
目をあけたまま
いねむりをしてきたのです

おばあちゃんのいねむりは
さっきからですが
わたしは
六十年も
目をあけたまま
いねむりを続けてきたのです
そのことを おばあちゃん
あなたは私に
気づかせてくださいました

おばあちゃん
ありがとう
如来さま
すみません

東井先生と同じような経験を
させて頂いたうれしさと共に、
私は、きっとこの老婦人は
居眠りをされてはいたけれども、
心の眼で私のつたない話を聴いて下さって
いたのではなかろうか・・・とふと思ったのであります。

私の話が始まった時から目をつむり、
コックリコックリしながらも、私の話を心の眼で捉え、
心に刻み込みながら、聴き取って下さっていたのではなかろうか。

その証拠に、話が終わった途端に目を開けて、
私によくわかったよ、と頷き、
エールを送って下さったのではあるまいかと。

本当の話の聴き方とは、何事にもとらわれずに、
話者の話を心の眼で捉え、
心に刻み込むようにして聴く事が大切であるとの事を
この老婦人のお姿から教えられた幸せな一日でありました。

/萬木 甚一良(近江聖人中江藤樹記念元館長)
 「致知」2005年3月号『致知随想』より抜粋、引用
 http://www.chichi.co.jp/

麓から階段だらけで、年を取ったらここまで登って来るのは、ちょっと辛いだろうなぁと思った奥の院へと続く道。この先で有り難い出会いがあり、ここまでお導き頂いた神仏に心から感謝した。

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