2006 年 1 月 10 日 のアーカイブ

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続・Walk In

2006 年 1 月 10 日

Netとは超便利なモノで、「ウォーク・イン」のブックレビューを見つけた。それによれば、
20060110

「生気を失った老人は偉大な聖人でしたが、さすがにもう年です。しかし、また死んで
転生すると赤ん坊からやり直さなければなりません。そこで、無力な赤ん坊時代や
子供時代を省くために、すでに成人した若者の体に魂を移したと説明しています。

つまり、魂が目的に達する人生を送ると、魂の故郷に帰り、新しいエネルギーを吹き
込まれ、また後を継ぐ魂も成長した体をまとう事で、成長過程を省略する事ができる
“効率の良い”誕生の仕方であると述べています。ヤドカリが成長するにしたがって、
小さくなった殻を別なヤドカリに明け渡し、新しい殻が小さくなったら、また他に移る
事を繰り返す事と同じであると説明しています。

しかし、前任者の体に入った魂は、色の好み、嗜好等の違いに面食らい、また、
ある種のぎこちなさも感じるようです。ウォーク・インの仕方として、臨死体験や
難病からの奇跡的回復の例が紹介されています。それらを体験すると人格が
変わり、社交的になったりと、全く違う人間になった例などがあり、これからも
増えていくと述べられています。

また、ウォーク・インした記憶をハッキリ持っている人と、全く持っていない人もいる
らしいです。社会的、政治的地位のある人の場合は、周囲やや本人にも知られない
方が良い場合もあるそうです。アセンション(ascension)の1つの興味深い現象
である事は間違いなく、これからも増えていくと予想されます」

ふとX-FileのFBI捜査官スカリーが、宇宙人から首に埋められたチップを思い出したね(笑)。
そっか、生気を失った老人は、ムダな時間を省きたくてウォーク・インしたかったんだ。
でも若者だって、赤ちゃんや子供と大して変わらず無力な時代とも思うんだけどなぁ。

人格が変わって全く違う人間になった例として、臓器移植もそうでしょ。魂が目的に
達する人生って、Veda風にいえばDharma(本分)にかなった生き方って事になるん
だろうけど、それがわからないんだよね。だから、美老庵・師匠の言う「生きる事を
考えるのと、実際に生きていく事は、ずいぶんと違っていて、そのために思い、惑い、
しまいに自分が見えなくなってきて、心を病んでしまうのです。私達はいつだって、
自分探しの旅をしているのです。なかなか見つからない自分です。あっちへウロ
ウロ、こっちをフラフラ、あてどもなく彷徨っているのでしょう」という事になる。

私なんて、その代表格(笑)。「Walk In」は、いずれ読んでみようと思う。

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