2006 年 7 月 5 日 のアーカイブ

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ゼノ・ゼブロフスキー修道士

2006 年 7 月 5 日

新聞のTV欄で、「ゼノ」という名前を見てとても気になり、Netでヤフって
いたら、いきなり“空庵ブログ”が出てきてビックリしたな~、モ~(笑)。
2005年5月21日の未空風呂「聖女」に彼の名前があったのだ。そっか、
もう1年以上前からご縁があったのか。

“ゼノ”少年牧場の創始者、故ゼノ・ゼブロフスキー修道士は、東欧のポー
ランド生まれ。キリスト教カトリック・コンベンツアル聖フランシスコ修道会
から、1930年(昭和5年)布教のため、39歳で祖国ポーランドを離れ、
師と仰いだマキシミリアノ・マリア・コルベ神父と共に来日した。

以来在日50余年、半世紀にわたって日本の貧しい人々のために歩き続け
てきた人だ。特に戦後の混乱期、東京・浅草のバタヤ街の人々を、十字架
の下に自立更生させた「蟻の町作り」は映画にもなり、「蟻の町の神父」
として有名になった。

「貧困者救済奉仕部主事」の肩書きを持ち、「白いヒゲ・黒の修道服に黒い
カバン・黒いドタ靴」が代名詞のゼノさん。その“無限の愛の人”ゼノさん
の最後の夢となった「知恵遅れの子供達の楽園作り」に多くの人が共鳴。

これが“ゼノ”少年牧場として実を結んだもので、1961年、地元常石造船
株式会社社長・故神原秀夫氏から建設用地の提供や、様々な善意ある
人々の尊い支援と協力によって誕生した。その後も精力的に全国を飛び
回りながら、90歳に至るまでの清々しい人生を全うしたという。

またゼノさんが師と仰いだコルベ神父は1937年、ポーランドのニエポカラ
ノフの修道院長に選任されて、日本を去る事になった。やがて第2次世界
大戦が勃発し、神父であるという事とナチスに協力的でないという理由
でナチス軍に捕らえられ、アウシュヴィッツ強制収容所へ送られる。

そこで、死刑を言い渡された妻子ある人の身代わりを申し出て、餓死
監房で注射を受けて亡くなった・・・

世の中には安易な理由で人を殺す愉快犯もいれば、自分の命と引き
換えに人の命を守る人もいる。どちらも血の通った同じ人間だ。

それにしても、ゼノさんがいた“蟻の町”とはどんな町だったのか?
ここには“蟻の町のマリア”と呼ばれた北原怜子(さとこ)さんという
女性がいた。7/6(木)日本テレビでAM1:44~3:10、ゼノ神父の
一生を描いたアニメ映画「ゼノ 限りなき愛に」が放映される。

・・・ってオイオイ、こんな時間に誰が見るんだよぉ(泣)
20060705

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