2006 年 7 月 13 日 のアーカイブ

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無手の法悦

2006 年 7 月 13 日

口で絵を描くといえば、日本では星野富弘さんが有名だろうか。だが、私には
生涯忘れられない女性がいる。それが「無手の法悦(むてのしあわせ:春秋
社刊)」の著者、大石順教(じゅんきょう)という尼僧さんだ。

TV番組「知ってるつもり?」で紹介されたのが、彼女を知るきっかけだったと
思う。私は昔から尼僧の人生に大変興味があり、いつも尼僧が紹介される時は、
この番組を欠かさず見ていた。尼僧の人生は男性に翻弄され、どの人も波乱
万丈で壮絶だが、その中でもダントツなのが、この大石順教さんではないだ
ろうか?

明治時代の末頃、大阪で狂乱の父親による「堀江の6人斬り」という一家惨殺
の殺人事件があった。順教の母が男と駆け落ちし、嫉妬に狂った養父が真夜
中に日本刀で、残った家族を皆殺しにしたのだ。まるで映画八つ墓村だが、
決してフィクションではない(号泣)。

養父に両腕を切断されながら、かろうじてたった一人生き残った17歳の娘、
これこそがまさに奇跡であり、後の順教だ。当時はよね子という名前だった。

ここまで聞いただけでも想像を絶するのに、これから彼女の歩む人生はあま
りに過酷で、本当に本当に信じられなかった。しばらくこの話が忘れられず、
たまたま会社の面接で、「尊敬する人は誰ですか?」と言われた時、「大石
順教さんです!」と即答したのを今でもハッキリ覚えている。

もし機会があれば、是非「無手の法悦」を読んでほしい。ほんまもんで知ら
れる村瀬明道尼と並んで、順教さんは日本が誇る素晴らしい女性なのだ。
私が教科書を作ったら、真っ先に載せるのに(笑)。

パラリンピックなど想像もできない明治時代。福祉制度もなく両腕を失い、
家族を失ったよね子は見世物小屋に売られ、芸者をさせられながら、艱難
に耐えた。だが、あまりの辛さに出家を願い出ると、その寺の住職に「女と
して一通りの経験をしてからでなければ出家はさせない」と言われ、その
まま俗界に身を置く事となる。

そして妻となり母となって、やがて仏門に入り、大石順教として出家した。
自らの境遇に照らし、多くの身障者の救済のために生涯を捧げたのだ。

晩年の彼女の顔は、見ているだけで涙が出るほど清らかで美しい。まるで
観音様の微笑みだ。こういう人が本当の美人なのだ思う。

実はこの大石順教さんが、「口と足で描く芸術家協会」と関係が深かった
という事をサイトで知ってしまった。「無手の法悦」を読んだのは、もうかな
り昔なのだが、ここにきて驚くべきシンクロだ!
20060713

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