2006 年 10 月 28 日 のアーカイブ

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エキセントリック

2006 年 10 月 28 日

とにかくラマヌジャンは、信仰厚き南インドのドラヴィダ人バラモンの社会に
生まれたのであった。だからといって豊かであった訳ではなく、経済的に
は非常に貧しく、学校も奨学金でやっと行けたという環境にすぎなかったが、
インドの伝統に従って、それでもバラモンはバラモンだった。バラモンは
人口の3%ほどしかいないそうであるが、誇り高き精神的貴族であり、
修行者であり、不浄を嫌う高潔な菜食主義者でもある。

その赤貧洗うが如きではあったが、誇り高いバラモン社会がラマヌジャン
の孤高の精神を育てた。少年ラマヌジャンはとても感じやすく、頑固で
「エキセントリックだった」という。

何しろ生後3年間というもの、ラマヌジャンは一言も口を開かなかったという
伝説がある。そのため父親は、この子はおしではないかと思い、ラマヌジ
ャンにタミール語を書くアチャラ・アビシェカムという訓練をしたというし、
学校へ行き始めてからも、登校拒否を繰り返した。

嫌なものはやりたくないという彼の頑固で、「エキセントリックな性格」は生ま
れつきで、表面的には官立高校に入ってからも、数学を除き、あらゆる必須
科目をサボる「不良学生」にすぎなかった。むろん学校へ通うなどという事
よりも空想、思考、瞑想といったものを好んだからである。

その代わり、人一倍感じやすいラマヌジャンは、学校の成績が悪かったり、
奨学金を取り消された時など、その恥辱のあまり何度も家出していた。
それからまた、忘れた頃にのこのこと家に戻って来るのである。

英語のテストでは、3点しか取れない時もあったが、数学では抜群の成績を
残したラマヌジャンの唯一の心の支えは、この数学であった。そして、16歳
の時、カーの「数学基礎要覧」を手にしてから、その才能は一挙に花開いた。

彼が持ち歩いていたノートには誰も知らない公式、いや自分が発見した
不思議な公式が次々に書き上げられ、後にその公式群の奇妙さ、不思
議さが世界の数学界を驚かせる事になるのである。
20061028
♪黒陀介というだけあって、花びらの筋がだんだん黒くなっている。個性が時と共ににじみ出てくるのは、人間も同じ。

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